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入梅前、万博に“来た、見た、帰った”

イスラエルがイラン核施設に200機の航空機で空襲したという。イランの内陸部は一般的に地図を見て分かるように、海岸部からすぐに高原地域になっており、その内陸を数百~600kmにわたって航空機で防空体制をかいくぐりながら低空で飛行し攻撃するのは非常な困難を伴うとされるが、それを大きな被害もなくやってのけたことは驚異的である。イラン内部に潜り込んだ地上の支援者も相当いた可能性も大いに考えられる。逆に、イランの防空体制の脆弱性が浮き彫りになったのではあるまいか。
これに対し、イランは弾道ミサイルによる反撃を行ったとされる。これは正しく世界にとって大変なリスクとなりうる。
純軍事的にはそういう評価であるが、ペルシャ湾岸での軍事的脅威は、原油価格に直ちに大きく影響する。それは日本にとって大きなリスクとなりうる。日本にとっては米価ばかりではなく原油価格の心配もせねばならなくなる。

一方、中国は母2隻を西太平洋域で訓練させた。中国空母2隻が日本のEEZ=排他的経済水域の内側を航行し、戦闘機やヘリコプターの発着を行ったことに、日本政府は懸念を表明したという。
その中国空母から発進した戦闘機が自衛隊のP3C対潜哨戒機にわずか約45メートル異常接近し、しかも長時間追尾したという。どうやら、中国人パイロットにはこういう無謀さを得意がっているフシがあり、中国軍側にはそれを英雄視する風潮があるのかもしれない。
しかし、これら中国空母はスキージャンプ方式での航空機発艦なので、航空機は軽武装で発艦せざるを得ず、航空機は100%の能力を発揮できる状態ではない、とされている。しかし、現在建造中の最新の空母はカタパルト発艦方式なので、今後の脅威懸念は非常に大きい。
だが、日本の潜水艦は世界一探知され難く、中国側はそれに気付いていないフシが大いにあり、たった1隻の潜水艦で水上艦艇数隻を壊滅することは可能とされるので、これでは張り子のトラ状態であろう。
さわさりながら、このまま日本は平和ボケではやって行けない状況に追い込まれつつある。日本の政治家は目先の選挙にばかり目を奪われているが、それで良いことは許されない。しかし、日本の政治家は目前の個人的利権に目を奪われているだけではないのか。



さて、先週月曜日にはとうとう“万博に「来た、見た、帰った」”のでそれを報告したい。
開催前はいろいろ批判され、見るべきもの目玉がないままの開催。だが実際には閑古鳥が鳴いている訳でもなさそう・・・・そんな気分になって来ていた。でもやっぱり開催後もその運営をめぐっての厳しい批判はあるようだ。
そんな気分で、万博を見に行くなら6月中と内心思っていたが、家族が先々週急に“行こう!”と言いだし 、動き始めた。翌週になれば梅雨入りとの予想。そこで入梅寸前の月曜日に目標を決めて段取りを始めた。
まぁ、幸いなことに言い出しっぺの家族が段取りをやったので、私は付いて行くだけ・・・お気楽のお楽しみ!ルンルン!
まぁ取り敢えず入場日を決めて、入場券を入手。それから観覧可能な所の予約。ところが5日前の予定決定では、3日前予約、ついには当日予約もできず、並んで見れるところは見る、ということで会場に乗り込むことにした。つまり行き当たりばったり。地図も批判にあるように公式の案内マップより、非公式のボランティア(つじ氏)マップの方が便利で分かり易いという評判で、それを活用。(当時使ったのはVer2.06の6/5版どんどん更新されている素晴らしい!)ヤッパリ、お役所仕事はダメか!

とにかく当日朝、神戸方面から湾岸線を使って、尼崎東海岸ICで降りて、半島状の埋め立て地を沖方面をめざして突っ走る。その先にガードマンが立っていて、案内されて駐車場に入る。そこからシャトルバスに乗り込んで会場の西ゲートへ。

観覧順序は概ね次の通り
西ゲート→大屋根リングの上散策→マレーシア館→コモンズA→ドイツ館→ランチ→水汲み→アゼルバイジャン館→夜の地球館→飯田グループ・大阪公立大学共同展示館→フィリピン・ドラム・団結の糸→ベトナム館→ロボット&モビリティ・ステーション→フランス館→イタリア館

以下、順に写真を示す。先ずは、入場した午前11時頃の風景から。大屋根リングの木材表面が既に白っぽくなっていたのが少々気になった。それと、工事が急がれたせいか、はたまた湾曲円形のせいか、横木の直線性が少し乱れていたような気がした。



一先ず、大屋根リングの上を歩いて東側に出てみることにした。レジオネラ菌が検出されたウォーター・プラザを回り込んで、ポルトガル館の前の広場に降りる。



取り敢えず目の前のマレーシア館に入った。目新しさを感じる展示内容ではなく見本市会場の感。次に、隣接のコモンズA館に入るが、これも見本市会場の感で、写真に撮るほどのものはなかったように感じる。人は込み合ってはいたが・・・



次に、ドイツ館へわざわざ赴いた。何だか分かり難くアクセスに苦労したが、内容は大したことなし。先ず案内用の丸っこい喋る柔らかい人形を配ってくれた。これで館内を案内してくれる。喋る時には光の色が変わる。どこかの町の環境取り組みの紹介が有ったりして、終わりに“環境破壊は大変・どうする?”のイメージ映像が登場して終わる。



ドイツ館出たところの大屋根リングの外側のリングサイド・マーケット・プレイスで昼食。薄い豚カツのハンバーガー。パンも美味く結構いけた。若干の休憩後、共用施設でポットの洗浄を行い、給水した。



次に、大変な親日国だというアゼルバイジャン。入口に踊る女性像が林立。どこに所在するのかも知らずに入る。中央アジアだそうなとは分かったが、ならばあのゲルマン民族大移動を引き起こしたアーリア人の故郷か、と思ったが、展示された地図によればカスピ海西岸の国と分かる。ならばアーリア人の故郷ではなさそうだが、遠くではなく近い。何故、親日国なのかは謎のまま。



次に近くの“夜の地球館”。午前中は人が並んでいたので、人気館かと思ったが夜の世界の都市の人工衛星レベルの軌道からの撮影映像の展示。夜の地球儀。後から考えると全球夜というのも変な話なのだが・・・・。こんなのわざわざ展示して何が言いたかったのだろうか。展示の終わりに、日本全国の物産紹介をやっていた。外人には面白かろうが、・・・・。



飯田グループ・大阪公立大学共同館。何を展示しているのか知らずに入ったので楽しみだったが、未来の都市をイメージしたジオラマとその内容を紹介する映像が中心だった。まっ概ねイメージ可能な内容だった。現代はその内容ほぼ皆知ってしまっている。何だか夢が無くて悲しいネ。



急に、東ゲート付近の三菱未来館やパナソニック、住友館に行って入れるものなら行ってみようとなったが、結局入り込めず、小雨の中疲れた足を引きずるのみ。漂っていると、急に賑やかなドラムの音が聞こえてきた。フィリピンのドラム楽団の演奏だった。リズムだけであんなに長く演奏できるのは驚きだったが、基本のリズムは同じものの繰り返しなのだが、演者の気分で若干バージョンを変えてみせる果てしない繰り返しであった。これでまたまた、少しお疲れ。



近くのベトナム館に飛び込んだ。だが、やっぱり見本市的展示であった。ついでに隣のロボット&モビリティ・ステーションにも寄った。



目の前にフランス館とアメリカ館があったが、結局フランス館に入ることとした。
一体何の展示?大きなブースの中央に腕の彫刻があり、“Rodin”と表示があり、あっロダンだ。壁をよくみるとルイビトンのトランクだった。つぎの部屋もルイビトンのバッグによる球体のオブジェ。壁のニッチにまたロダンの腕の彫刻。戸外にでると樹齢100年のオリーブの木。次は、ワインの原料のブドウの房の大きなオブジェ、ロダンの腕の彫刻からの壁にシルエット。クリスチャン・ディオールのコスチュツーム。壁一面の動く映像。そして館外へるとそこにもローマ時代頃の男女の像があった。なかなか気合の入った展示物だった。



少々一息。だが2時間ほどすると閉館時刻。思い切ってイタリア館を目指す。どうやら並んで30分ほどで、制限がかかったようで、最後尾が係員によって限られていた。危うく見れなくなるところだった。それ以上並んでもらっても、もう閉館なので並んでも無駄ですので、限らせていただいているとの係員の説明だった。
午後8時過ぎ頃ようやく入場。手工芸制作現場の展示。展示物は脈絡なく並んでいるような印象。誰だこの肖像は?と思っていたら、帰って調べると天正遣欧少年使節団*の伊東満所だった。イタリア側が日本に示した親愛の印であった。

*キリシタン大名である大友義鎮(宗麟)・大村純忠・有馬晴信らの名代としてローマへ派遣された4名の少年使節団の1人。

次の部屋へ行くと何故か心臓の模型が並んでいる。古代ローマ時代の彫刻“ファルネーゼのアトラス” 、前の大阪万博でも展示されたと言う。その時はアジアでの初めての展示だったという。ミケランジェロの“キリストの復活”、カラバッジョの“キリストの埋葬”と見モノが続く。次のブースでのダ・ビンチの設計図に到っては少々閉口。止まらずにカメラを図面の真上に構えるなのガードマンの指示には少々参った。写真は若干ピンボケ!フェラーリが世界最初にディスク・ブレーキを採用。その展示。やがて屋上の庭園に・・・そしてエレベータで地上へ。これで閉館。
万博観覧も終了。疲れて西ゲートに向かう。



概要的には、それほど感動的なものは少ない。欧州のドイツ館は“環境が大事!”のイメージ映像だけだがフランス・イタリアはさすがの印象だった。それ以外は、やっぱり全体に見本市レベルで大会テーマがありきたりであったこともあってか大したことなし。そのせいか、観覧していた外人比率も街にいるほどではなかったように感じた。中国語も聞こえるのは少なかったのではないか。
だから“万博に「来た、見た、帰った」”の印象だったのだ。
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