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松尾剛次・著“日蓮―「闘う仏教者」の実像”を読んで

トランプ関税の大嵐襲来!日本の自動車産業に大打撃?
日本の産業構造の転換を果たすべく90年代から何もなさず、ダラダラ過ごした結果がこれだ!
いつまでも自動車か?製造業からの脱却が大きなテーマだったはずが、モタモタしたまま無駄に時を過ごした結果ではあるまいか?既存の日本の自動車もEVの波に遅れたかのようだ。何よりもEVを先駆けた日産があの為体なのだ。一方、中国のBYDが世界のトップEVメーカーに肉薄している。
90年代後半には第二次産業から第三次産業への転換が叫ばれたが、一向に実行されぬまま今日に至り、未だに自動車産業におぶさったまま、トランプに狙い撃ちされて、しかも、狙い撃ちには平身低頭、“お代官サマー、何とかお目こぼしを・・・!”としか言えぬこの国の首相!
日本のトップの自動車会社・トヨタは実験都市ウーブンシティの街開きを果たして三次産業への転換を真剣に着々と志向しているのだが、社会全体が一向に動いて行かないのだ。
一方で、大阪で万博だと騒いでいるが、一向に目指す方向性が明確になっていかない。前回の万博では“人類の進歩と調和”と言って、科学技術の発展・進歩と人類文明の調和という一応明確な視点が提示されていた。そして結構PRもやっていた記憶がある。今回は“いのち輝く未来社会のデザイン”これが一向にはっきりしないし、PRも乏しい。日本の産業構造の転換とも関連が乏しい。だから前売りも捌けて行かない。日本人全体がホーケてしまっているのだろうか。旗振りがいないからなのか?

政治資金の規制問題!いつまでやってんだ!!ダラダラ~ァっと!ごまかしゴマカシ30年を無駄に過ごして失われた30年?50年?一生かかる?30年一日の政治の停滞!こんなことだから、産業構造の転換も図れない!
日本社会はきちんとしているから、変わるのに時間がかかる!それは分かるがいい加減にシロ!
否、日本社会のタカリの構造!それが金権の与党自民を腐らせているのだ。自発的な自治の精神がまったく育たない日本社会!中央集権的に集めた金を、タカリ構造の地方に中央集権的に配分する、その慣習から脱却できないのだ!タカリの社会構造にヌクヌクと悪い奴ほどよく眠っているのだ!昔ノーキョウ、今ハケン・・・・・?

三次産業への転換は、知的産業の発展が欠かせない。そのためには当然DXも欠かせないが、何よりも基本は大学教育の高度化だ。そしてそこに到る教育システム全体の高度化も必要だ。
日本の教育システムや大学は高度化に向けて転換して発展しているのか?私学教育の強化でそれがなされるのだろうか?ヨォーッく考えて欲しいのだ!マエハラ君!・・・・トンチンカンの期待ウスなのか?




さて、私の“仏教のお勉強”はとりあえず鎌倉仏教にまで至って、浄土宗・浄土真宗と禅宗の曹洞宗若干までで少々停滞している。――決して最澄や空海から卒業したとは思っていない。ここまでの理解はあくまでも外形的理解で終わっているとの自覚は大いにある。――鎌倉仏教では未だ、日蓮宗と臨済宗が残っている。そこで今回、先ずは“始祖・日蓮”に注目してとりかかろうとした。そしてまた今回は“ひろさちや”氏からも脱却してみようとも思い、中公新書から松尾剛次・著『日蓮―「闘う仏教者」の実像』を読むことにした。

例によって本の概要を紀伊国屋書店のウェッブ・サイトの紹介によって以下に示す。

《出版社内容情報》
蒙古が襲来するなど、激動した鎌倉時代を生きた日蓮。自筆の書簡、数多い著作ほか関係史料を博捜し、その思想と人物像に迫る。

《内容説明》
地震や疫病、蒙古襲来など、激動の鎌倉時代を生きた日蓮。天台宗ほか諸宗を学び、三二歳で日蓮宗を開いて法華経の信仰を説いた。鎌倉を本拠に辻説法で他宗を攻撃して圧迫を受け、建白書『立正安国論』の筆禍で伊豆に、のちには佐渡に配流された。死をも恐れぬ「闘う仏教者」のイメージがある一方、民衆の苦しみに寄り添う姿も垣間見られる日蓮。自筆の書簡、数多くの著作をはじめ、史料を博捜して、その思想と人物像に迫る。

《目次》
第1章 立教開宗へ(安房に生まれる;貫名氏の出身 ほか)
第2章 立正安国への思いと挫折(鎌倉での日蓮;『守護国家論』 ほか)
第3章 蒙古襲来と他宗批判(念仏系寺院の展開と法難;伊豆配流 ほか)
第4章 佐渡への配流(文永八年の法難;教団の離散と改宗者の出現 ほか)
第5章 身延山の暮らし(日蓮赦免;身延入山 ほか)

《著者等紹介》松尾剛次[マツオケンジ]
1954年(昭和29年)、長崎県に生まれる。東京大学文学部卒業後、同大学大学院に進む。東京大学文学博士。山形大学教授、東京大学特任教授、日本仏教綜合研究学会会長などを歴任。山形大学名誉教授。専門分野は日本中世史、宗教社会学。

読み終えた感想は、残念ながら何だか時系列の事件・事績紹介に終わってしまった印象なのだ。それでは生涯略年表の提示と同じではないか。日蓮の思想・信条の説明が希薄だったような気がするのだ。日蓮を知るには、その事件・事績を生んだ思想・信条の説明が無ければ意味が薄れるにもかかわらず、本書ではその肝心の思想・信条の説明が乏しいのではないだろうか。
確かに本書の“はじめに”では“本書は、思想的な成果に学びつつも、歴史学的な方法論を駆使して、日蓮の実像に迫ろうとしている。いわば、日蓮が生きた中世の宗教状況を明らかにしつつ、その中で日蓮の言説を見直したい。”とはあるが、これは事件・事績の真相を明確にし、時系列順序を正確にすることを尊重したい、という意味であったのだと、ようやく理解したのであった。

そして、その生起した事件・事績を見てみると、やたらに“法難”が目立つように見える。どうも、俺がオレがで論敵に難癖を付けて喧嘩を売って来ているのではないかと思われる場面が多すぎるのではあるまいか。それが時の権力者の幕府への批判にまで及んで、佐渡流罪となるに至ったのではあるまいか。仏法を尊ぶべき僧に珍しき所業のような気がする。

極めつけは、龍ノ口の法難*であろう。そしてこれには“江ノ島方より月のような光の玉がやってきた”とか、“光の衝撃で振り下ろした太刀が折れ、首を刎ねることができなかった”という伝説が生まれている。そして“龍口法難は今後結論が変化する可能性がある”とされている。

*『立正安国論』を著して鎌倉幕府に呈上(文応元年7月16日-西暦1260年8月24日)の日蓮が龍ノ口刑場で斬首されそうになった事件。本来、実際にあったかどうかも怪しいためか、本書付録の年表にも載っていない。

こういう騒動が伴うのが日蓮であるが、これに比べて法然も法難に遭ってはいるが、泰然としている感がある。変で怪しい伝説も生まれてはいない。まぁ、法然には時の朝廷権力者・九条兼実への絶対的信頼があったからかもしれない。
とにかく次に日蓮の“生涯略年表”を掲げる。これは本書の終わりに付いた“略年譜”をベースにネット記事を参照しつつ筆者が作成したものである。




まぁ鎌倉時代に起きた新宗教の教祖に納まり損ねかけた日蓮は、様々な騒動と伝説を作り出すことで、何とか始祖の座に就けたということなのかも知れない。そんな下衆の勘ぐりもしたくなる話ではある。しかも、宗派の名称に始祖の名が付くのは日蓮宗だけである、とは誰かが言っていた。俺がオレがでないと既存の宗派の中に埋もれてしまう可能性があったのだろう、と言えなくもない。
しかし、そうした諸事績の結果かもしれないが、宮沢賢治に大きな影響を与え、田中智学が起こした国柱会*の思想となったというのだ。近代日本に与えた影響も非常に大きいことに衝撃を受けたのだ。

*元日蓮宗僧侶・田中智学によって創設された法華宗系在家仏教団体。純正日蓮主義を奉じる。戦前の右翼に大きな影響を与えた。特に石原莞爾が参謀であった満洲国建国の思想的バックボーンとして、国柱会の思想は多大な影響を及ぼした。

“賢治は『法華経』に説かれるような、『法華経』と題目(「南無妙法蓮華経」)を広め、他者を救済しつつ成仏を目指す菩薩を人生の理想としていた”とある。
Wikipediaによれば、“日蓮は、南無阿弥陀仏に対抗すべく「南無妙法蓮華経」の題目を唱え(唱題行)、妙法蓮華経に帰命していくなかで凡夫の身の中にも仏性が目覚めてゆき、真の成仏の道を歩むことが出来る(妙は蘇生の儀也)、という教えを説き、法華宗各派の祖となった。”とある。
日蓮は法華経を尊重したとあれば、最澄との基本的な違いはどこにあるのだろうか。違いがないとすれば、それは天台宗ではないのか。それをことさらに“日蓮宗”と言い募るのはどういうことなのか。日蓮は最澄の弟子だと自認していたというが、もしそうなら、法然・浄土宗と親鸞・浄土真宗の関係と同じなのか。
まぁ、そのあたりをもう少し明らかにするには、やっぱり ひろさちや氏の著書に頼らなければならないような気がしてきた。

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