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鈴木邦男・著“憲法が危ない!”を読んで

右翼の大物とされる鈴木邦夫氏が、“憲法が危ない!”という本を出したのを、書店店頭の本の山の中に見つけた。ジョークだ!いや、憲法といっても日本の憲法ではあるまい、と思ってその本を手に取って、帯をよく読んでみた。そして冗談ではなく、本当に“憲法が危ない!”と考える根拠が書かれているのだと感じ、思わず買った。 この本は平易には書かれてはいるが、読み返してみると結構奥深く幅広い。浅沼事件、風流夢譚事件とそれに関わる?三島事件にも言及している。逐一、私なりに感想を書いてはみたいが、そんな時間も余力も今はない。もっと時間をかけて考えてみたい部分も多数ある。著者・鈴木氏は 結構覚悟して書いたのだろう。 この本では気懸りなのが、今の政府は広告宣伝会社をうまく使って、国民世論をコントロールしようとしている点を繰り返し述べて警戒している点だ。その広告宣伝会社も程度の悪いブラック企業ではないか。今の国民は思考停止する傾向にあるように思われるが、自分の頭でもっと考えて欲しい。教養は無いが政治的手練・手管はやたら上手い、その程度の悪い政治指導者に都合よく騙されて悲劇の歴史を繰り返して良いのか、よく考えて欲しい。果たして、こんなリベラルな鈴木氏を“右翼”との色分けで見て良いのだろうか。 . . . 本文を読む
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吉村昭・著“深海の使者”を読んで

最近のようにキナ臭い政治情勢の中で、最近 吉村昭の“深海の使者”をようやく読み終えた。潜水艦は今もっとも気懸りな兵種であり、その運用は日本が世界トップであるとされる。その源流である先の大戦での日本の潜水艦運用状況を知ることは意義あることだろうと読んだ次第だ。 戦争中の昭和17年(1942)に枢軸国の同盟を実効あるものとするには実際に人的、物的往来が必要と当時の政府は認識した。相互の戦略的役割の確認はもとより、特に日本側はドイツの新技術である電波探信義(レーダー)や電波探知機(レーダー照射逆探知機)の実物導入をドイツ側に要望した。それまで日独の軍需物資はドイツの特設巡洋艦で大胆に実施していたが、それではドイツ側は最新技術が連合軍に鹵獲されるとおそれた。しかし日本が大型潜水艦を派遣すればドイツは応じるとして開始。その後は、ジェット機やロケット機の技術導入も企図して、橘花や秋水、或いは特攻機・桜花の元となった。この一連の史実が“小説”になっている。 しかし、5次5隻派遣されてほぼ目的を達し潜水艦自身も無事に帰国できたのは、第2次の伊号第八潜水艦だけであった。日独間の1万5千浬(3万キロ弱)の潜航を含む航海が如何に過酷だったかが理解できる。(実際は日仏間) 読み終わって、戦争中のこことは言え、命を懸けておじけることなく任務遂行に努力する群像に敬意を通り越してほろ苦さを感じてしまう。 . . . 本文を読む
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古田織部美術館を観覧して

先日は京都に行く用件があったので、ついでに何処かへ行きたいとネットで京都のイベントを調べてみると、たまたま“平成29年 春季 展「古田織部と慶長年間のかぶき者」”を古田織部美術館でやっていることを知り、この際出かけてみることとした。その美術館は、地下鉄北山駅が最寄で、植物園の北側にある大きくないビルにある。 茶人・古田織部は、古田重然という、織豊期の武将。千利休が大成させた茶道を継承しつつ“かぶいた”気風を好み、茶器製作・建築・庭園作庭などにわたって“織部好み”と呼ばれる一大流行をもたらした。 織部は武士だったというのは知ってはいたが、文化人でもあったので まさか切腹で最期を迎えたとは知らなかった。私のような下衆の勘繰りでは、時代を読み大筋において誤らない活躍のようだったが、その割には出世できなかったことで、ある種の賭けに出て間違ったのであろうか。いずれにしても昔の人の人生は厳しいものだとの感慨を持つ。 . . . 本文を読む
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“忖度”は美徳か

このところ引き続いた森友学園スキャンダルは、そろそろ政権の思惑通り沈静化しつつある。多数与党の数の論理でなんとなく予算案が通過してしまえば、役人の怪しい行為は何が問題だったのか、あるいは問題でなかったのかすら、明らかにならないままフェード・アウトしつつある。折角生じた問題に対し議論を深めないまま放置することが、将来により大きな問題を生む結果につながることはないのだろうか。 さて、こうしたスキャンダルの議論の過程で話題になった一つに“忖度”という言葉がある。これに相当する適切な英単語は、無いと言われている。つまり日本独特の集団心理にかかわる言葉である。日本独特の言葉となると、右派からはあたかも“忖度”が美徳であるかのような議論をなしているが、そうとは一概に言えない良くない側面があることを指摘したい。“忖度”の結果、生じる行為は普遍的・客観的に評価されなければならない。それが一部のものを利するものとなってはならない。一部のものを利するように“忖度”することは、たとえ合法であっても公共的には犯罪である。 . . . 本文を読む
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