The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
ひろさちや・著“坐らぬ禅”を読んで
イラン・イスラエル電撃合意にあんぐり!意外にすんなり行ってよかった。一見強引なトランプ外交が功を奏した結果だ。しかし、それは本質的解決にはなっていない。イランが核脅威を持たなくなった訳ではないからだ。かえって問題は根深くなった、はずだ。
世界は狭い隘路を危うく歩いている。呑気ではいられず、自分では如何ともし難いもどかしさがある。かと言って巨大な責任をとても背負いきれる訳では決してないのだが・・・・・。
米国の集団的自衛権の拡大解釈 に中露は呆れかえっている。それは特に中国にとって台湾が米国の集団的自衛権行使の対象になりうるかどうかにかかわる話だからという。
“フジ・メディア・ホールディングス”が株主総会で会社側が提案した11人の取締役の候補者を選任する案を可決した。マスコミは取締役候補の議案を出していた大株主の投資ファンド“ダルトン・インベストメンツ”の影響力を云々していたが、会社四季報によれば10位以内に彼らは存在せず、東宝7.9%や文化放送3.3%、関西テレビ放送2.6%等身内で固めていて、これで事を起こすことがありえるとは元々思えない状態だった。ダルトン側の比率ははるかに低いと思われるからなのだ。
だが、この旧来勢力で再生するということは、ホリエモンの考えるような大胆な改革再生、ネットフリックスの追撃等は考えられないのではあるまいか。
さて、今回は、ひろさちや・著“坐らぬ禅”を読んでの感想である。このところ、佐々木閑氏の“ゴータマは、いかにしてブッダとなったのか”や、“大乗仏教―ブッダの教えはどこへ向かうのか”を読んでみて、やっぱり“神秘的なモノ”を語ることを嫌う禅宗が、最も釈迦・ゴータマに近いのではないかと感じ、もう一度、禅宗に近づいてみようと思いひろさちや氏の禅宗に関する書物を検索した。すると、ひろさちや氏は既に亡くなっており、絶筆の“坐らぬ禅”が出版されていることを知った。ひろさちや氏が亡くなられていたことを知らなかったのは大変に迂闊なことである。亡くなったのは2022年4月7日、85歳だった由。私が“仏教”を知ろうとしはじめたのは、コロナ禍が始まった頃、2020年だったので、それがまだ流行っていた頃で、ロシアがウクライナ侵略を22年2月に開始している。その4月に亡くなっていたのだ。御冥福を祈りたい。
実は、私が仏教に興味を持ったのは、高校3年の時だった。たまたま奈良女に行っていた従姉からもらった本で岡潔の“春宵十話”を読んでいたのだが、そこで“無明”という仏教用語で話を書いておられた。もうその内容はすっかり忘れた*のだが、西洋文明批判だったであろうか、当時、勝手右派の日本民族派の私には痛快だった。そこでの仏教用語に、魅かれて、その頃“不立文字”という禅宗にもあこがれていたこともあって、父の本箱から勝手に山田無文・著“碧巖物語”を毎日一話づつ訳も分からず読んで、理解不能の自分を面白がっていたのだった。それは禅における公案の解説本。解説を聞いてもサッパリ分からん・・・・。それがその内分かるようになるだろうと、面白がったものだった。
*岡潔は奈良女での有名な教授だった。『春宵十話』で取り上げられた“無明”という言葉。ネットで調べてみるとピカソ批判になっていて、「“情緒”が創造の出発点」と考える岡潔にとってピカソは耐え難い存在だったようだ。
この、ひろさちや氏の絶筆の書は、それ以来の公案*の解説書でもある。読んでみて、これが又、分かり難い。この年齢になって未だ分からんか?こいつぁテイヘンだぁ、感想文など書けやしない。よっぽどやめようかとも思ったが、投稿ネタはこれ以外にある訳ではないので、このまま書き続けることとした。申し訳ない。
*公案(こうあん)とは、禅宗における問答、または問題をいう
それでも、いつものように紀伊国屋書店の本の概要紹介から始めたい。
《出版社内容情報》
没後仕事場からみつかった「絶筆」作品。本書は「禅の世界へ案内するガイド・ブック(案内書)。禅の世界への案内書は、むしろ禅の世界の住人が書いたものより、わたしのような禅の素人が書いたもののほうが分かりやすく、役に立つと思います」といったスタンスで展開する。
高みから講釈する「禅の達人」ではない「禅の素人」の筆者が遺した「禅は、馬鹿になるな! 阿呆になれ! と教えています」というメッセージに学びたい。「第Ⅱ部 禅僧列伝」における、語録・著作の真髄を?み砕いての訳と解説は読みごたえあり、「ひろ流高僧伝」と言えよう。
《内容説明》
わたしは、わざわざ禅寺に行って坐禅をしなくとも、サラリーマンが日常の勤務の中で、通勤電車の中で、ベッドの上で、気軽に学べる禅―坐らぬ禅を考えています。読者は禅の考え方、禅の教え、禅の示唆するところを学び、それを日常生活に活かしてください。本書はそのためのものです。(本文「まえがき」より)
《目次》
第1部 禅仏教とは何か?(阿呆vs.馬鹿;雨受けに笊;三度の遣い ほか)
第2部 禅僧列伝(釈尊;菩提達磨;慧可 ほか)
第3部 終りと始め(死にともない;始めはいま、ここで;方便の意味)
《著者等紹介》ひろさちや[ヒロサチヤ]
1936年(昭和11年)、大阪市に生まれる。東京大学文学部印度哲学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科印度哲学専攻博士課程修了。1965年から二十年間、気象大学校教授をつとめる。退職後、仏教をはじめとする宗教の解説書から、仏教的な生き方を綴るエッセイまで幅広く執筆するとともに、全国各地で講演活動をおこなう。厖大かつ多様で難解な仏教の教えを、逆説やユーモアを駆使して表現される筆致や語り口は、年齢・性別を超えて好評を博する。2022年(令和4年)、逝去
この本の最初に、“わたしは禅の世界の人間ではない”と言いきってはいるが、しかしだからと言って、案内者としては不適切ではないと言っている。むしろ、そこの住人ではないからこそ、旅行案内には適切ではないかと言っている。インド人に書かせたインドのガイドブックは日本人には必ずしも有効でないように、禅の素人が書いた方が分かり易いはずだと言っている。
ところで、著者は正座することが苦痛だと告白している。だから禅寺で正式に坐禅をしたことがない、という。だから――坐らぬ禅――を提唱したいと言う。本来は、行・住・坐・臥、すべてが禅であり、禅でなければならない。禅寺に行って坐禅をすることが禅ではない、と言っている。
いよいよ本文。ここでは“禅とは何か?”に“――阿保になれ!――馬鹿になるな!――”に尽きると言う。そこで、ここで、阿保と馬鹿の違いを話しているが、これが分かり難い。第1部全てを使って話しているのだが・・・・。まぁ、これが分かったらこの本が分かったことになるのだろう。
一般的に阿保と馬鹿の違いをどうみているかネットで調べてみた。あるページでは次のようにその違いを挙げていた。
阿保
・ぼけている、愚かだ、という意味で、言動や振る舞いに対して使う。
・名詞につけて使うことが少ない。汎用性は乏しい。
・あまり良い意味になることはないが、どこかしらに幼児性の意味を含む。
馬鹿
・ぼけている、愚かだ、という意味で、普通ではない性質や状態を表す。
・形容詞で使うと意味が薄まるので、バカ+名詞で使うと良い。ただし、人にくっつけるとすごい悪口になる可能性がある。
・時に、普通ではないという意味で、良い意味ともなる。
これで注目したいのは、阿保に“どこかしらに幼児性の意味を含む”とあることだ。そこには“無邪気性” が含まれ、さらにそこに“ほうける”ことまで含まれてくるような気がする。この“ほうける”を深掘りすると、
ほう・ける【×惚ける/×耄ける/×呆ける】
[動カ下一][文]ほう・く[カ下二]
1 知覚のにぶった状態になる。ぼんやりする。ぼける。「起きぬけの—・けた顔」「病み—・ける」
2 (ふつう「蓬ける」と書く)草や髪の毛などが、ほつれ乱れる。けば立って乱れる。
「雨に—・けた雑草の中に」〈三重吉・小鳥の巣〉
3 動詞の連用形に付いて、そのことに夢中になる意を表す。「遊び—・ける」
この内の“3”の“そのことに夢中になる意を表す。「遊び—・ける」”にも関わってくるのではあるまいか。
そこまで行くと、禅の“今を一生懸命”の精神に沿うことになる。・・・・そういうことなのか?
最初の事例は、中学2年の男の子が不登校になった場合である。“その場合、なんとかわが子を学校に行くようにしたいと願うのが馬鹿”ということ。“カウンセラー(臨床心理士)と相談したり、ときには暴力を振るってわが子を学校に連れて行ったり、あれこれ画策”する。それがうまく行ってわが子が学校に行くようになることがあれば、その人は馬鹿ではない、賢い人になる。
だがたいていの場合、失敗しm“子供はますますひねくれ、最悪の場合は子供が自殺することもある。親は後悔する羽目になるが、それが馬鹿”だという。
一方、阿保の親は、“「二人でのんびりハイキングにでも行こう。そして明日からは、おまえは学校を休んで、好きなことをしていればいい」と言えるような人”だ。これを禅がすすめているということ。だが、それでも解決できると決まったことではない、という。阿保になって上手く行った実例はあるという。
だが、上手くいくことを期待して阿保になるな、という。そんな期待があれば馬鹿だというのだ。変な期待をせず、無邪気に対応するのが阿保、計算して期待をするのが馬鹿、ということになるのか。
ここで、禅僧の実例を挙げている。関山慧玄(1277~1360)という日本の南北朝時代の人で、後に花園上皇に京都の妙心寺の開山に迎えられたのだが、話は彼が美濃の山中に隠棲していた頃のこと。ある日、にわかの大雨で本堂に雨漏りが生じる。そこで彼は弟子たちに何か受けるものを持って来いと命じた。しかし寺には適当な受けるものは見当たらなかった。だが、一人の小僧が笊(ざる)を持って駆けつけた。これを慧玄は褒めたたえたという。笊では雨漏りには役立たないはずにもかかわらず、ということなのだ。何故か?この説明は著者ははぐらかして終わっている。小僧はその場でぐだぐだ考えずに行動した。だからよかった、となっている。この寺に雨受けになるような容器は無い、そんなことはお師匠さんもご存じにも拘わらず言っておられる、ならば笊でも持って行けば良い、と妙な計算を働かせて持って行ったのではなく、咄嗟に差し出したのが良い、そういうこと?イミフでは?阿保で咄嗟に動いた、ということか?ぐだぐだ考え計算するのは馬鹿?
次に出てくるのが分別や分別智のこと。普通は“分別をはたらかせて物事を判断しようとする。それを禅では「馬鹿」といい、われわれに「馬鹿になるな!」と教える”という。
例として、水族館で飼育している魚の餌に金魚を使っていたが、それが世間に知れると「残酷だ!」と非難された。水族館は餌をドジョウに替えたら、誰も文句を言わなくなった。“きれいでかわいい金魚が他の魚に食われるのは残酷で、ドジョウが食われるのは当然。それが分別智の判断。”変な判断だ、と。
“仏教でいう分別は、なにも区別や差別をする必要のないものを、人間が勝手に区別・判断していることを言っている”。“いつもそうした世間の物差し(分別智)ばかりを振り回している人が馬鹿なのだ”、という。
次に盤珪永琢(1622~93)という禅僧の山科の地蔵寺にいた時の例。京都に弟子を上質紙を買いに遣らせた時のこと。弟子はあれこれ吟味して紙を買って帰った。だが盤珪は「これじゃだめ」とダメ出しした。仕方なく弟子は京都まで紙を買いに戻って、求め直して帰って来た。盤珪は「これじゃだめ」と撥ねつける。この繰り返しで三度。ようやく弟子は自分の過ちに気付いて、詫びたという。「別段、最初の紙でもよかったのじゃ」と盤珪は言った、という。紙を選ぶときに、比較・考量して買ったはずだが、そうすると必ず迷いが残る。その「迷い」を残さず帰ればよかったのが、そうはできなかったのを見抜かれたのだという。弟子が恐る恐る差し出すのに気付いたのだろう。それに相手が弟子だからこそ、教える為にわざとそうやったのだろう。
病気になってもくよくよするな、病人として毎日を楽しく生きろ。そう考えるのが阿保、だという。貧乏なら、金持ちになろうとするのではなくて、貧乏のままで毎日を幸福に生きようとする。“そういう阿保になれ!というのが禅の教え”だという。
どうすれば阿保になれるか?第一に――なんだっていい――と考えること。“これはある意味で、自分の欲望・邪念を捨てることになる。また、それは「あきらめ」にも通じる”。というのは、“人間の欲望は自分の思うがままにならないことを思うがままにしたいと思ってしまう。”そのように思うがままにならないときは、なんだったっていいと思うべきなのだ、という。あきらめるべきだと言う。ただし、“ここでいう「あきらめ」は、人間の努力によって改善できることか/できないことかを明らかにする「明らめ」だ”という。
ある時、引きこもりの青年から、相談を受けた時、――なんだっていい――ひろさちや式に言えば“南無そのまんま・そのまんま”――あなたはそのまんまでいいんだよ――なんとか早く状態をよくするために、あくせくいらいらしない。そうするのは馬鹿なのだ。阿保なまま毎日を楽しく過す算段をしてほしいと言ったという。
ここまで来てようやく、アホ・バカの差は考え過ぎだったと、ようやく理解できた。思うがままにならないときは――なんだっていい――とあきらめるのが阿保だというのだ。「あきらめ」は、人間の努力によって改善できることか/できないことかを明らかにする「明らめ」”なのだった。
第2部はその応用編としての禅僧列伝である。次のような僧の事例が挙げられている。
1 釈尊、 2 菩提達磨、 3 慧可、 4 六祖慧能、 5 馬祖道一、 6 大珠懐海、 7 龐居士、 8 鳥窠道林、 9 南泉普願、 10 趙州従諗、 11 法眼文益、 12 倶胝、 13 臨済義玄、 14 明庵栄西、 15 希玄道元、 16 一休宗純、 17 鈴木正三、 18 盤珪永琢、 19 白隠慧鶴、 20 誠拙周樗、 21 大愚良寛
釈尊については『無門関』にある伝説の紹介。それぞれのエピソードの紹介はもう面倒なのでここでは止めます。
第3部も禅僧のエピソード紹介。
仙厓義梵、88歳で示寂。その時、“死にともない(死にたくない)、死にともない”と言ったという。
関山慧玄は84歳で示寂。長らく病床にあったが、“どうやら、お迎えがまいったようじゃ”と言って、旅支度をして、弟子を一人従え寺をでるまでに、弟子に最後の教えを訓じて、そのまま立亡したという。どちらも良い死に方だという。
正岡子規は、“悟りということは如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違いで、悟るということは如何なる場合にも平気で生きて居ることであった。”と言った。
“死を怖れてはいけない、死を怖れない人間になろうと努力している”。“しかし、それは馬鹿げた努力”で“馬鹿になってはいけない”。“仙厓のように、「死にともない、死にともない」と呟くような阿保になったほうがよい”のだ。
終わりはどうだって良い。では始めはどうか。禅においては、――即今・当処・自己――今のあるがままからスタート。それを楽しむ。楽しいから始める。そういう生き方を禅では尊ぶ。
仏教にはゴール(目的、終着点)はない。仏教においては、常にスタートしかない。
楽しみつつとは言っても、苦しみ悩む時間の方が多いのが現実。“それを「嫌だ、嫌だ」と呟きつつ苦悩を苦悩としてじっくり味わう。それが方便”。仏教では目的達成よりは、目的にむかって接近していくことが大事で、それを“方便”という。
最後の禅僧の紹介。中国唐代末の禅僧・雲門文偃(846~949)が、“昨日までのことは放っとけ。さあ、今日これからについて、何か一句を言ってみろ!”と弟子たちに迫ったが誰も何もいわない。そこで言ったのが、“日日是れ好日”だった。
これは有名な言葉“毎日毎日が好日”だが、著者は“毎日毎日を好日にせよ!”と命令形で読むべきだと言っている。“そして「好日」というのは、嬉しいときは喜び、哀しいときはしっかり泣くこと。悲しいときに笑顔をみせるのは馬鹿。悲しい時にわんわん泣けるのが阿保”だ、という。
これで、阿保・馬鹿の話は終わっている。おわかりになったでしょうか。

世界は狭い隘路を危うく歩いている。呑気ではいられず、自分では如何ともし難いもどかしさがある。かと言って巨大な責任をとても背負いきれる訳では決してないのだが・・・・・。
米国の集団的自衛権の拡大解釈 に中露は呆れかえっている。それは特に中国にとって台湾が米国の集団的自衛権行使の対象になりうるかどうかにかかわる話だからという。
“フジ・メディア・ホールディングス”が株主総会で会社側が提案した11人の取締役の候補者を選任する案を可決した。マスコミは取締役候補の議案を出していた大株主の投資ファンド“ダルトン・インベストメンツ”の影響力を云々していたが、会社四季報によれば10位以内に彼らは存在せず、東宝7.9%や文化放送3.3%、関西テレビ放送2.6%等身内で固めていて、これで事を起こすことがありえるとは元々思えない状態だった。ダルトン側の比率ははるかに低いと思われるからなのだ。
だが、この旧来勢力で再生するということは、ホリエモンの考えるような大胆な改革再生、ネットフリックスの追撃等は考えられないのではあるまいか。
さて、今回は、ひろさちや・著“坐らぬ禅”を読んでの感想である。このところ、佐々木閑氏の“ゴータマは、いかにしてブッダとなったのか”や、“大乗仏教―ブッダの教えはどこへ向かうのか”を読んでみて、やっぱり“神秘的なモノ”を語ることを嫌う禅宗が、最も釈迦・ゴータマに近いのではないかと感じ、もう一度、禅宗に近づいてみようと思いひろさちや氏の禅宗に関する書物を検索した。すると、ひろさちや氏は既に亡くなっており、絶筆の“坐らぬ禅”が出版されていることを知った。ひろさちや氏が亡くなられていたことを知らなかったのは大変に迂闊なことである。亡くなったのは2022年4月7日、85歳だった由。私が“仏教”を知ろうとしはじめたのは、コロナ禍が始まった頃、2020年だったので、それがまだ流行っていた頃で、ロシアがウクライナ侵略を22年2月に開始している。その4月に亡くなっていたのだ。御冥福を祈りたい。
実は、私が仏教に興味を持ったのは、高校3年の時だった。たまたま奈良女に行っていた従姉からもらった本で岡潔の“春宵十話”を読んでいたのだが、そこで“無明”という仏教用語で話を書いておられた。もうその内容はすっかり忘れた*のだが、西洋文明批判だったであろうか、当時、勝手右派の日本民族派の私には痛快だった。そこでの仏教用語に、魅かれて、その頃“不立文字”という禅宗にもあこがれていたこともあって、父の本箱から勝手に山田無文・著“碧巖物語”を毎日一話づつ訳も分からず読んで、理解不能の自分を面白がっていたのだった。それは禅における公案の解説本。解説を聞いてもサッパリ分からん・・・・。それがその内分かるようになるだろうと、面白がったものだった。
*岡潔は奈良女での有名な教授だった。『春宵十話』で取り上げられた“無明”という言葉。ネットで調べてみるとピカソ批判になっていて、「“情緒”が創造の出発点」と考える岡潔にとってピカソは耐え難い存在だったようだ。
この、ひろさちや氏の絶筆の書は、それ以来の公案*の解説書でもある。読んでみて、これが又、分かり難い。この年齢になって未だ分からんか?こいつぁテイヘンだぁ、感想文など書けやしない。よっぽどやめようかとも思ったが、投稿ネタはこれ以外にある訳ではないので、このまま書き続けることとした。申し訳ない。
*公案(こうあん)とは、禅宗における問答、または問題をいう
それでも、いつものように紀伊国屋書店の本の概要紹介から始めたい。
《出版社内容情報》
没後仕事場からみつかった「絶筆」作品。本書は「禅の世界へ案内するガイド・ブック(案内書)。禅の世界への案内書は、むしろ禅の世界の住人が書いたものより、わたしのような禅の素人が書いたもののほうが分かりやすく、役に立つと思います」といったスタンスで展開する。
高みから講釈する「禅の達人」ではない「禅の素人」の筆者が遺した「禅は、馬鹿になるな! 阿呆になれ! と教えています」というメッセージに学びたい。「第Ⅱ部 禅僧列伝」における、語録・著作の真髄を?み砕いての訳と解説は読みごたえあり、「ひろ流高僧伝」と言えよう。
《内容説明》
わたしは、わざわざ禅寺に行って坐禅をしなくとも、サラリーマンが日常の勤務の中で、通勤電車の中で、ベッドの上で、気軽に学べる禅―坐らぬ禅を考えています。読者は禅の考え方、禅の教え、禅の示唆するところを学び、それを日常生活に活かしてください。本書はそのためのものです。(本文「まえがき」より)
《目次》
第1部 禅仏教とは何か?(阿呆vs.馬鹿;雨受けに笊;三度の遣い ほか)
第2部 禅僧列伝(釈尊;菩提達磨;慧可 ほか)
第3部 終りと始め(死にともない;始めはいま、ここで;方便の意味)
《著者等紹介》ひろさちや[ヒロサチヤ]
1936年(昭和11年)、大阪市に生まれる。東京大学文学部印度哲学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科印度哲学専攻博士課程修了。1965年から二十年間、気象大学校教授をつとめる。退職後、仏教をはじめとする宗教の解説書から、仏教的な生き方を綴るエッセイまで幅広く執筆するとともに、全国各地で講演活動をおこなう。厖大かつ多様で難解な仏教の教えを、逆説やユーモアを駆使して表現される筆致や語り口は、年齢・性別を超えて好評を博する。2022年(令和4年)、逝去
この本の最初に、“わたしは禅の世界の人間ではない”と言いきってはいるが、しかしだからと言って、案内者としては不適切ではないと言っている。むしろ、そこの住人ではないからこそ、旅行案内には適切ではないかと言っている。インド人に書かせたインドのガイドブックは日本人には必ずしも有効でないように、禅の素人が書いた方が分かり易いはずだと言っている。
ところで、著者は正座することが苦痛だと告白している。だから禅寺で正式に坐禅をしたことがない、という。だから――坐らぬ禅――を提唱したいと言う。本来は、行・住・坐・臥、すべてが禅であり、禅でなければならない。禅寺に行って坐禅をすることが禅ではない、と言っている。
いよいよ本文。ここでは“禅とは何か?”に“――阿保になれ!――馬鹿になるな!――”に尽きると言う。そこで、ここで、阿保と馬鹿の違いを話しているが、これが分かり難い。第1部全てを使って話しているのだが・・・・。まぁ、これが分かったらこの本が分かったことになるのだろう。
一般的に阿保と馬鹿の違いをどうみているかネットで調べてみた。あるページでは次のようにその違いを挙げていた。
阿保
・ぼけている、愚かだ、という意味で、言動や振る舞いに対して使う。
・名詞につけて使うことが少ない。汎用性は乏しい。
・あまり良い意味になることはないが、どこかしらに幼児性の意味を含む。
馬鹿
・ぼけている、愚かだ、という意味で、普通ではない性質や状態を表す。
・形容詞で使うと意味が薄まるので、バカ+名詞で使うと良い。ただし、人にくっつけるとすごい悪口になる可能性がある。
・時に、普通ではないという意味で、良い意味ともなる。
これで注目したいのは、阿保に“どこかしらに幼児性の意味を含む”とあることだ。そこには“無邪気性” が含まれ、さらにそこに“ほうける”ことまで含まれてくるような気がする。この“ほうける”を深掘りすると、
ほう・ける【×惚ける/×耄ける/×呆ける】
[動カ下一][文]ほう・く[カ下二]
1 知覚のにぶった状態になる。ぼんやりする。ぼける。「起きぬけの—・けた顔」「病み—・ける」
2 (ふつう「蓬ける」と書く)草や髪の毛などが、ほつれ乱れる。けば立って乱れる。
「雨に—・けた雑草の中に」〈三重吉・小鳥の巣〉
3 動詞の連用形に付いて、そのことに夢中になる意を表す。「遊び—・ける」
この内の“3”の“そのことに夢中になる意を表す。「遊び—・ける」”にも関わってくるのではあるまいか。
そこまで行くと、禅の“今を一生懸命”の精神に沿うことになる。・・・・そういうことなのか?
最初の事例は、中学2年の男の子が不登校になった場合である。“その場合、なんとかわが子を学校に行くようにしたいと願うのが馬鹿”ということ。“カウンセラー(臨床心理士)と相談したり、ときには暴力を振るってわが子を学校に連れて行ったり、あれこれ画策”する。それがうまく行ってわが子が学校に行くようになることがあれば、その人は馬鹿ではない、賢い人になる。
だがたいていの場合、失敗しm“子供はますますひねくれ、最悪の場合は子供が自殺することもある。親は後悔する羽目になるが、それが馬鹿”だという。
一方、阿保の親は、“「二人でのんびりハイキングにでも行こう。そして明日からは、おまえは学校を休んで、好きなことをしていればいい」と言えるような人”だ。これを禅がすすめているということ。だが、それでも解決できると決まったことではない、という。阿保になって上手く行った実例はあるという。
だが、上手くいくことを期待して阿保になるな、という。そんな期待があれば馬鹿だというのだ。変な期待をせず、無邪気に対応するのが阿保、計算して期待をするのが馬鹿、ということになるのか。
ここで、禅僧の実例を挙げている。関山慧玄(1277~1360)という日本の南北朝時代の人で、後に花園上皇に京都の妙心寺の開山に迎えられたのだが、話は彼が美濃の山中に隠棲していた頃のこと。ある日、にわかの大雨で本堂に雨漏りが生じる。そこで彼は弟子たちに何か受けるものを持って来いと命じた。しかし寺には適当な受けるものは見当たらなかった。だが、一人の小僧が笊(ざる)を持って駆けつけた。これを慧玄は褒めたたえたという。笊では雨漏りには役立たないはずにもかかわらず、ということなのだ。何故か?この説明は著者ははぐらかして終わっている。小僧はその場でぐだぐだ考えずに行動した。だからよかった、となっている。この寺に雨受けになるような容器は無い、そんなことはお師匠さんもご存じにも拘わらず言っておられる、ならば笊でも持って行けば良い、と妙な計算を働かせて持って行ったのではなく、咄嗟に差し出したのが良い、そういうこと?イミフでは?阿保で咄嗟に動いた、ということか?ぐだぐだ考え計算するのは馬鹿?
次に出てくるのが分別や分別智のこと。普通は“分別をはたらかせて物事を判断しようとする。それを禅では「馬鹿」といい、われわれに「馬鹿になるな!」と教える”という。
例として、水族館で飼育している魚の餌に金魚を使っていたが、それが世間に知れると「残酷だ!」と非難された。水族館は餌をドジョウに替えたら、誰も文句を言わなくなった。“きれいでかわいい金魚が他の魚に食われるのは残酷で、ドジョウが食われるのは当然。それが分別智の判断。”変な判断だ、と。
“仏教でいう分別は、なにも区別や差別をする必要のないものを、人間が勝手に区別・判断していることを言っている”。“いつもそうした世間の物差し(分別智)ばかりを振り回している人が馬鹿なのだ”、という。
次に盤珪永琢(1622~93)という禅僧の山科の地蔵寺にいた時の例。京都に弟子を上質紙を買いに遣らせた時のこと。弟子はあれこれ吟味して紙を買って帰った。だが盤珪は「これじゃだめ」とダメ出しした。仕方なく弟子は京都まで紙を買いに戻って、求め直して帰って来た。盤珪は「これじゃだめ」と撥ねつける。この繰り返しで三度。ようやく弟子は自分の過ちに気付いて、詫びたという。「別段、最初の紙でもよかったのじゃ」と盤珪は言った、という。紙を選ぶときに、比較・考量して買ったはずだが、そうすると必ず迷いが残る。その「迷い」を残さず帰ればよかったのが、そうはできなかったのを見抜かれたのだという。弟子が恐る恐る差し出すのに気付いたのだろう。それに相手が弟子だからこそ、教える為にわざとそうやったのだろう。
病気になってもくよくよするな、病人として毎日を楽しく生きろ。そう考えるのが阿保、だという。貧乏なら、金持ちになろうとするのではなくて、貧乏のままで毎日を幸福に生きようとする。“そういう阿保になれ!というのが禅の教え”だという。
どうすれば阿保になれるか?第一に――なんだっていい――と考えること。“これはある意味で、自分の欲望・邪念を捨てることになる。また、それは「あきらめ」にも通じる”。というのは、“人間の欲望は自分の思うがままにならないことを思うがままにしたいと思ってしまう。”そのように思うがままにならないときは、なんだったっていいと思うべきなのだ、という。あきらめるべきだと言う。ただし、“ここでいう「あきらめ」は、人間の努力によって改善できることか/できないことかを明らかにする「明らめ」だ”という。
ある時、引きこもりの青年から、相談を受けた時、――なんだっていい――ひろさちや式に言えば“南無そのまんま・そのまんま”――あなたはそのまんまでいいんだよ――なんとか早く状態をよくするために、あくせくいらいらしない。そうするのは馬鹿なのだ。阿保なまま毎日を楽しく過す算段をしてほしいと言ったという。
ここまで来てようやく、アホ・バカの差は考え過ぎだったと、ようやく理解できた。思うがままにならないときは――なんだっていい――とあきらめるのが阿保だというのだ。「あきらめ」は、人間の努力によって改善できることか/できないことかを明らかにする「明らめ」”なのだった。
第2部はその応用編としての禅僧列伝である。次のような僧の事例が挙げられている。
1 釈尊、 2 菩提達磨、 3 慧可、 4 六祖慧能、 5 馬祖道一、 6 大珠懐海、 7 龐居士、 8 鳥窠道林、 9 南泉普願、 10 趙州従諗、 11 法眼文益、 12 倶胝、 13 臨済義玄、 14 明庵栄西、 15 希玄道元、 16 一休宗純、 17 鈴木正三、 18 盤珪永琢、 19 白隠慧鶴、 20 誠拙周樗、 21 大愚良寛
釈尊については『無門関』にある伝説の紹介。それぞれのエピソードの紹介はもう面倒なのでここでは止めます。
第3部も禅僧のエピソード紹介。
仙厓義梵、88歳で示寂。その時、“死にともない(死にたくない)、死にともない”と言ったという。
関山慧玄は84歳で示寂。長らく病床にあったが、“どうやら、お迎えがまいったようじゃ”と言って、旅支度をして、弟子を一人従え寺をでるまでに、弟子に最後の教えを訓じて、そのまま立亡したという。どちらも良い死に方だという。
正岡子規は、“悟りということは如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違いで、悟るということは如何なる場合にも平気で生きて居ることであった。”と言った。
“死を怖れてはいけない、死を怖れない人間になろうと努力している”。“しかし、それは馬鹿げた努力”で“馬鹿になってはいけない”。“仙厓のように、「死にともない、死にともない」と呟くような阿保になったほうがよい”のだ。
終わりはどうだって良い。では始めはどうか。禅においては、――即今・当処・自己――今のあるがままからスタート。それを楽しむ。楽しいから始める。そういう生き方を禅では尊ぶ。
仏教にはゴール(目的、終着点)はない。仏教においては、常にスタートしかない。
楽しみつつとは言っても、苦しみ悩む時間の方が多いのが現実。“それを「嫌だ、嫌だ」と呟きつつ苦悩を苦悩としてじっくり味わう。それが方便”。仏教では目的達成よりは、目的にむかって接近していくことが大事で、それを“方便”という。
最後の禅僧の紹介。中国唐代末の禅僧・雲門文偃(846~949)が、“昨日までのことは放っとけ。さあ、今日これからについて、何か一句を言ってみろ!”と弟子たちに迫ったが誰も何もいわない。そこで言ったのが、“日日是れ好日”だった。
これは有名な言葉“毎日毎日が好日”だが、著者は“毎日毎日を好日にせよ!”と命令形で読むべきだと言っている。“そして「好日」というのは、嬉しいときは喜び、哀しいときはしっかり泣くこと。悲しいときに笑顔をみせるのは馬鹿。悲しい時にわんわん泣けるのが阿保”だ、という。
これで、阿保・馬鹿の話は終わっている。おわかりになったでしょうか。

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