活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

真の仏とは1

2022年10月11日 | 法理

私達衆生の仏道の修行とは、「仏に成る修行」です。

 

「真の仏」というのは、余って居る所も無ければ、欠けて居る所も無いという事です。

 

即ち「今の私達衆生の様子」です。

 

修行するとかしないに関わらず、「今の自分のそのままの様子」です。


天上天下唯我独尊6

2022年10月07日 | 法理

「法(道)その物自体」は、「元々無い物」ですから、法(道)その物自体は、一つも変わっていません。

 

これからは、私達衆生が自由に「おシャカ様の時代はそうであったかもしれません」がと。

 

今はそうでなければなりませんし、そのほうが今の多くの人には、分かってもらえると思います。

 

自信を持って法(道)を自分の者にして頂きたく思います。


天上天下唯我独尊5

2022年10月05日 | 法理

「自分の法に目覚める」という事は、「おシャカ様の法」では在りません。

 

「独立した自分という者」に成るわけです。

 

私はとてもおシャカ様の様な人には成れませんと、いう人がいます。

 

よく考えて見て下さい。

 

みんなそれぞれ違うのに、同じ人に成ろうと思うのは、おかしいと思いませんか。

 

しかし同じ人に成らなければおかしいと思う人が多いのも、「現今の事実」です。

 

法(道)という物は、そういうものではありません。

 

おシャカ様の教えは、インドから中国に入り、中国から日本に入って来ましたが、みんなそれぞれ違います。

 

ですからその土地その文化に因って、様々に形を変えて今日までこの様に、有(在)るのです。


天上天下唯我独尊4

2022年10月03日 | 法理

誰でも熱い物は熱い、冷たい物は冷たい、悲しい事は悲しい皆同じです。

 

おシャカ様を始め歴代の覚者と言われる方々は、誰一人として特別な人は、いません。

 

「その人」が或る「縁」に因って、法(道)を求め導かれ、そうして「道」を歩んで、来られたのです。

 

その事に因って、そう言う機縁に逢ったという事ですから、何方でも「志」さえ有(在)れば、「今の自分の事実」に気が付くという事です。


天上天下唯我独尊」3

2022年10月01日 | 法理

「悟り」が在ってはならないとか、得るべき処が在ってはならないとか、目的をもって修行(坐禅)をしてはならない」と、そういう間違ったことを話す人が在ります。

 

これらは、「悟った人、究極に達した人のお言葉」です。

 

ですからこれから法(道)を求めていかなければならない人、自分の問題を何とかしなければならない人は、そんな事に耳を貸していたら、駄目なのです。

 

法(道)の為に一生懸命に、頑張らなくてはならないのです。

法(道)の為に一生懸命頑張らないと、いけないのです。

 

目的に向って一歩一歩進んでいかなければなりません。

 

そうでありませんと、何にも成りません。

 

道元禅師の教えというのは、身心脱落です。

 

信心脱落とはその説明なのです。

 

ですから私達衆生は、「覚者」にならないと、いけないのです。

 

覚者というのは、「身心脱落した」です。