活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

人は人のためにある1

2019年06月20日 | 法理

それぞれのものが、全部「法」にかなったものとして、そうあるのです。

それでは人はどうなのでしょうか。


ここでおシャカ様のお言葉を拝借していうならば、「人は人のためにある」

ということです。


私たち衆生はあらゆる恩恵を被って生活が出来ているのですから自分だけの

ものにしていてはいけないわけです。


一所懸命に坐るとは

2019年06月19日 | 

「一所懸命に坐って下さい」ということは、「今の事実に手を付けては

いけない」という意味です。


「ジーッと今の事実を守りなさい、一切解決の方法を見出してはいけない」

ということを言っているわけです。


「今の事実を本当に事実のままに、ジーッとそれに没頭していて、一切

他を見ない」ということです。


ですから、「今の事実の状態」にどれだけ任せ切れるかが、問題なのです。

別の言葉で言えば「ジーッとこで、そのものに成りつぶれる」ということを

「一所懸命に坐る」というのです。




洗濯2

2019年06月18日 | 法理

その反対に汚れたものの時は、汚れたものの世界なのです。

綺麗なものは毛筋ほどもありません。


洗濯の目的は綺麗にするためのものではありませんん。

ただ洗濯をする、それだけで用事が足りているということです。


これは、比較するという相対的な考えから全く離れた世界があるという

ことです。

 


洗濯1

2019年06月17日 | 法理

例えば綺麗なシーツに汚れが付くとします。

すると、それを洗濯すると綺麗になります。


またしばらくすると汚れます。

また洗濯します。


いつまでも汚れては洗濯するということになると、洗濯するということは

どういうことなのだということになってきます。



しかし、綺麗なものの時は、綺麗なものの世界なのです。

汚いというものはどこにもありません。


比較するものがないのです。


飲食欲(おんじきよく)9

2019年06月16日 | 仏教

私たち衆生は「成道の為め」に健康に十分注意しながら「道を成じる」

「自己の正体を見極める」べく努力していかなければならないのです。


「今此の食を受く」の今とは「生死を離れた今」ということです。

すべて「仏道を成ぜんが為めに、自己の正体を見極める為め」に私たち衆生は

飲食(おんじき)をし、諸々の日常生活をするということなのです。


飲食欲(おんじきよく)8

2019年06月15日 | 仏教

「五観之偈」の第四番目に「四つには正(まさ)に良薬を事(こと)とするは

形枯(ぎょうこ)を療ぜんが為めなり」と示されています。


ここでいう「形枯を療ぜんが為めなり」というのは、「道」を聞くために

生を保てばよいということです。


「五観之偈」の第五番目に「五つには成道の為めの故に今此の食(じき)を

受く」と示されています。


これが一番大切なことです。


飲食欲(おんじきよく)7

2019年06月14日 | 仏教

生きることも死ぬことも同じ「道」です。


決して生まれることが目出度くて、死ぬことが不幸ということはありません。

「道」から外れた生活は一時もありません。


善業、悪業ともに「道」ですから、どちらにも楽しく身を任せていく必要が

あります。


嫌な仕事でもやるべきことはやらなければなりません。

それしか「道」はありません。それが「道」というものです。


飲食欲(おんじきよく)6

2019年06月13日 | 仏教

私たち衆生は、何の為、どうして食べるのか。

これは大変大事な問題です。


この様な問題を投げかけると、たいてい「生きるため」という答えが返って

きます。


しかし、「食べていつまでも生きるわけではないのに」という疑問が生じます。


いつかは此の身は「死ぬ」ことは決まっています。


そうすると、「生きるため」というより「死ぬために食べる」といった方が

いささか合理的な気がします。


飲食欲(おんじきよく)4

2019年06月11日 | 仏教

貪欲から離れるというのは「求心(ぐしん)」をやめるということです。


「求心をやめる」ということは、例えば、苦しい、痛い、悲しいという

「今の事実」を、自己を介在させて、他によって解決しようと思うことを

やめることです。


自分の様子を振り返って「やっぱりこのようにやればこうなるんじゃ

なかろうか」と、必ず期待するものが出て来るものです。


一所懸命になっている時こそ、不思議なくらいにそれが出て来るものです。


修行をした結果というものを知らず識らずの内にどうしても求めてしまう

ものなのです。