活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

唯務(ただ つとむ)3

2015年12月07日 | 坐禅

「唯務(ただ つとむ)」の「唯」は、「唯」が先にあるのではありません。

後にあるのでもありません。

 

何かを完全に務めている時には「唯」も何もありません。

例えば、苦いものとか辛いものを口にすると「苦い」とか、「辛い」と言いますが、それは過ぎてしまった知覚でわかることです。

全部過ぎたことだからわかるのです。

その中にいる間はわからないのです。

わからないぐらいに真実の中にいるのです。

 

私達衆生の日常生活の様々な状態というのも、いつも自分というものが判断したり、考えたりしていると思いがちです。

しかし、様々に変化している自分というのは全部、嘘でも本当でもない、それだけの因縁によって表れているだけのもので、私達衆生は、いつでも何もない世界にいるのです。


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