活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

「坐禅は坐禅なり」とは6

2021年07月04日 | 坐禅

「私が坐禅をしている、私が仕事をしている」という「坐禅」と「私」というものが二つに成らないように満身の坐禅、満身の仕事に成り切らなければならないのです。

 

坐禅というものは自分で行うより他に無いのです。

 

そこを達磨大師は「諸仏の法印は人から得るものではない、自分でやりなさい」とおっしゃっています。

 

ですから「法(道)」を求める事です。

 

「法(道)」というのは自分自身の事です。

 

「自分自身」というのは「法身(ほっしん)その物」です。

 

「法身」というのは無限であり、無辺のものです。

 

それが自分の姿です。

 

しかし、私たち衆生は「人、私、法、道、というものを認める」が為に、こんな大きなものであるという事に気が付かないのです。


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