活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

功夫 (くふう)

2015年11月03日 | 坐禅
「この法」は、一歩一歩、根気よく歩かない限りは「坐禅は坐禅なり」という、本当に【脱落した中での坐禅】、すべてのものが落ちきってしまった中での坐禅ということは、決して出来ないのです。

なので、一所懸命に功夫 (くふう) をして頂きたいと思います。


「功夫」ということは、「坐禅」ということです。

【同じ事】なのです。

坐って「功夫」をするということは【間違い】です。


ですから、思惑の中で坐らないように、「祗管 (ひたすら) に坐って、坐り尽くす」ということ。

これが坐禅の要領です。


そのほかのことでは、脱落ということは到底夢にも知ることは出来ません。

「功夫 (坐禅) をしてください、功夫 (坐禅) だけに成って下さい」。


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