活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

子供の境涯 2

2016年04月07日 | 坐禅

「子供の境涯」 というものは、向こうの境涯に応じて、様々に変わっていくことが

出来るのです。

これを形容して、「宝鏡三昧」 には、「不去不来、不起不住、婆々和々、有句無句」

(ふきょふらい、ふきふじゅう、ばばわわ、うくむく) と言っています。

 

「不去不来」 とは、去って去って跡形がなく、来て来た塊りがないものに

執着しない、腰をかけないことをいったものです。

 

「婆々和々」 とは、子供の言葉です。

子供の言葉は解らないものです。

何故ならば、「言葉に塊り」 がないからです。

「水の流れのように」 といいますか、どこにも 「自己」 というものはないのです。

 

このことは、おシャカ様も 「證明」 しておられます。

「すべて実相は無相であり、無相は無我」 ということです。

向こうの境遇によって種々変化するのです。

 

「月」 は欠ける時があれば、また満つる時がきます。

物は定まりの着くべきものではないのです。

「始終変わって行く」 ものなのです。

 

子供の言う事は少しも定まりがありません。

腹を立てるかと思うと笑い、笑うかと思うと泣きます。

 

「定まらないのが世の中」なのです。

「無常の世の中が常」なのです。

 


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