活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

坐禅を志す人へ2

2020年12月26日 | 坐禅

それですから「私」というところの者(事)は、あるのではないのです。

 

「私が聞いている」という事は無いのです。

 

「只(ただ)聞こえている」のです。

 

「この物(身体)は自分を離れた活動者」なのです。

 

そのように自分の全ての物を親しく観ると、それがはっきりします。

 

そこですべての迷いが取れるのです。

 

当然、「坐禅をする」という事が必要になるのです。