活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

坐禅を志す人へ1

2020年12月25日 | 坐禅

「坐禅を志す人」は、今まで色々な事を問題にしていたと思います。

 

そして、そういうものを皆無くしてしまうのだ、と思っていると思います。

 

「修行」というと、大抵そんなことを考えていると思います。

 

ですから「無念無相」などという「木石(ぼくせき)」の如く成る事、と思うのです。

 

「無念無相」というのは、そういう有り様ではありません。

 

内からも外からも、何があっても、「全ての物事は、あるがままの存在」で人間(にんげん)の為にあるのではないのです。

 

「只その物の活動」なのです。

 

この身体も精神作用も、私たち衆生の考えている様な「私が」と思う自分の為に存在しているのではないのです。

 

その作用を「無念無相」というのです。

 

「私」という「錯覚」を起こして知らず識らずに、「私が」と思い込んで迷っているのです。

 

これを「顛倒夢想(てんどうむそう)」と言っています。

 

しかしながら、実は聞こうと思ったから聞こえるのではなく「人と環境(六根と六境)」との必然性なのです。