先般「放下着(ほうげじゃく)」の稿で論及した「そんなに無い事が好きならば何時までも担いでいなさい」
「厳陽(ごんよう)言下(ごんか)に大悟す」。
ここに於いて初めてすっかり「残り物」が取れたとあります。
「無」をもう一つ「無」で殺さなければならないところです。
「無」というものがまだ残っているのです。
まだ「残り物が有(在)る」という事です。
「実地」に当たって「さっぱり」しないのです。
丁度魚を焼いてしまっても、なお、匂いが残るようなものです。
一層の奮起を促して「小成(しょうじょう)に安んずる」を誡められたのです。
道歌に、「蚊帳を出て また障子あり 夏の月」