「法(道)」というのは、日常生活のすべてです。
しかし、それはそうなのですが、ただ問題にしてもらいたい所はそこ(日常生活の全て)に自分の介在が有(在)るか無いかの一点なのです。
私たち衆生は「自分の介在」が入る以前から、すでに「法(道)の物に成っている」という事なのです。
ですから、私たち衆生は、「何時でも、何処でも、何をしていても、どういう考えを持っていても」、今、既に「法(道)の中にいる人、結果の中にいる人、結果の中で生活している人」なのです。
この事実を事実のままに、素直に受け取っていく事が「修行の第一歩」なのえす。
そして、「法(道)の元(もと)」を考えていただきたいのです。
「法(道)の元(もと)」とは最初があって、終わりがあるという意味の「元(もと)」ではありません。
「お父さんお母さんがこの世に生まれていない時の自分は、一体何処にあった」という意味の「法(道)の元」です。