一般の理解では不識とは「識らず、知らないこと」とされていますが、宗教では不識を「識を越えた意味、分別を以てはかることの出来ない意味」ととらえています。
識を「言偏(ごんべん)」とするのは言語によって道理を聞知するからです。
余談ですが、不識と不知とは甚だ差別(しゃべつ)があり、「知」の字の方が重いのです。
ですから道を知るとは、心の底より知るということなのです。
道を識るとは一寸見覚えがあるまでの意なのです。
一般の理解では不識とは「識らず、知らないこと」とされていますが、宗教では不識を「識を越えた意味、分別を以てはかることの出来ない意味」ととらえています。
識を「言偏(ごんべん)」とするのは言語によって道理を聞知するからです。
余談ですが、不識と不知とは甚だ差別(しゃべつ)があり、「知」の字の方が重いのです。
ですから道を知るとは、心の底より知るということなのです。
道を識るとは一寸見覚えがあるまでの意なのです。