分からないという挫感から、私たち衆生は知(識)ろうとするエネルギー
が生まれるのです。
捨てることと同時に私たち衆生は何を知(識)りたいかを考え直す時だと
思います。
どんなことがあっても私たち衆生は「一年」というサイクルの中で
生きているという現実があります。
暦は終わりと向かうことには触れず、終わりは始まりであると繰り返して
いるように私たち衆生の多くは感じられています。
日捲り(ひめくり)は生まれたその日が死んだその日なのです。
暦はいくつもの節目を揃えて気を取り返すきっかけをくれます。
これもやさしさです。
昔の人たちが「天の巡り」をそのように解釈をし生きやすいように
恵みと考えたのはまさに恩情哲学だと思います。