さらには、このようにして造られる「世界観」が肉体の「五官(眼・耳・鼻・舌・触)」
から入ってくる情報のために、本来の状態から制約されている特殊なものの見方に
過ぎないにも拘わらず、それ以外の視点に立った経験が意識の表面に全く上がってこない
ために「客観的(主観的)」な把握が出来なくなっていたからです。
この辺の事情をはっきり理解できるのは、私たち衆生のひとりひとりが
「法を自覚(体得)した時」であり、その時に限るのです。
「法」から言えば、「現在(私たち衆生が自分と他人を知覚 ”区別”している)意識の
状態」というのは、この地球上で私たちひとりひとりが「悟りの自覚(体得)を得る」
ために生じている一時的な「現象として存在」しているものに過ぎません。