活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

現在を考える2

2018年03月20日 | 法理

さらには、このようにして造られる「世界観」が肉体の「五官(眼・耳・鼻・舌・触)」

から入ってくる情報のために、本来の状態から制約されている特殊なものの見方に

過ぎないにも拘わらず、それ以外の視点に立った経験が意識の表面に全く上がってこない

ために「客観的(主観的)」な把握が出来なくなっていたからです。


この辺の事情をはっきり理解できるのは、私たち衆生のひとりひとりが

「法を自覚(体得)した時」であり、その時に限るのです。


「法」から言えば、「現在(私たち衆生が自分と他人を知覚 ”区別”している)意識の

状態」というのは、この地球上で私たちひとりひとりが「悟りの自覚(体得)を得る」

ために生じている一時的な「現象として存在」しているものに過ぎません。


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