活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

相続 1

2015年10月11日 | 語録

「愚のごとく魯 (ろ) のごとし」というお言葉があります。

他から見たら何をしている人か分からない、修行らしいことを一切していない人となって修行を「相続」していくことは、大変なことです。

「相続」をしていくということは、【続けていく】ということです。


修行というものは、「やりなさい」と他から強いられて行うものではありません。

これは、出来そうで、なかなか出来ないことです。


そして、「平常心是道 (びょうじょうしん ぜどう) だから、何をしても坐禅だ」という考えに堕ちやすいものです。

坐禅の嫌いな人が「何をしていても坐禅なのだから、ことさらに坐禅をしなくてもいいじゃないか」というようなことを言い出すのです。

しかし、それは間違いです。

何故ならば、何をしていても坐禅ならば、坐禅も【「何をしていても」という中の一つ】です。


坐禅をしようと、横になっていようと、歩いていようと、どんなことをしていても、すべてが「何をしていても」相続でないといけないということです。

これは非常に大変なことですけれども、そういう努力が必要だということです。