3回目の投稿。
去年、紹介したここの畑のぶどう。
もともとは、50年近く前から植わっていたぶどう。
植え主は、連れの父親。つまり私の義父。
この畑は、昔から、義父の親戚から借りていた畑。
それが、義父もとうに畑を作らなくなり、
連れに託されたわけですが。
このぶどうは、いわば、連れの育った年月だけ
同じように生きてきたわけでして、
私がここの畑を見たこともない頃から、
「うちにはぶどうがあった・・・」
と言う風に聞いていたのです。
考えてみたら不思議。
まさか、この私が、今こうして連れの
思い出深いぶどうの世話をしているなんて・・・

前置きがいつも長くてごめんね。
このぶどうは去年まで、かなり混雑していて、
どうやったら整えられるのか、
私も連れも、頭を抱えていました。
で、今年こそ!整理することに。
連れが鉄の棒を組み立てて、針金を巡らして
棚を作りました。
私が、もつれた枝、枝をほどいたり、
切ったりして、誘因。

その結果・・・

とってもすっきりしました!!
ぶどうに関しては、二人とも全くの素人で、
本当にこれでいいのかは、わかりません。
でも、肥料も入れて、愛情も入れて、
なんとか整いました。
去年は、このブドウで、聖餐式のジュースや
ジャムが作れて、本当に感謝しましたからね。
今年はもっとおいしくなるんじゃないかなあ・・・
・・・って、期待してしまいますよねえ。

それにしてもぶどうの丈夫さには驚かされています。
さすが「ツル性」植物。
自分の隣の枝にさえしっかりとからみついて、
離れまいとしています。
ぶどうといえば、聖書の中には良く登場する植物。
イエス様が「ぶどうの木」、
私たちが「その枝」とされています。
だから、イエス様から切り離されたら、
たちまち死んだようになってしまいます。
イエス様にしっかりつながって、
そこから豊かないのちを頂いて、
平安や喜びの中で、生きていける。
ぶどうを世話していると、
いつもこのことを思い出されて、
嬉しい気持ちになるのです。
ここあでした。
去年、紹介したここの畑のぶどう。
もともとは、50年近く前から植わっていたぶどう。
植え主は、連れの父親。つまり私の義父。
この畑は、昔から、義父の親戚から借りていた畑。
それが、義父もとうに畑を作らなくなり、
連れに託されたわけですが。
このぶどうは、いわば、連れの育った年月だけ
同じように生きてきたわけでして、
私がここの畑を見たこともない頃から、
「うちにはぶどうがあった・・・」
と言う風に聞いていたのです。
考えてみたら不思議。
まさか、この私が、今こうして連れの
思い出深いぶどうの世話をしているなんて・・・

前置きがいつも長くてごめんね。
このぶどうは去年まで、かなり混雑していて、
どうやったら整えられるのか、
私も連れも、頭を抱えていました。
で、今年こそ!整理することに。
連れが鉄の棒を組み立てて、針金を巡らして
棚を作りました。
私が、もつれた枝、枝をほどいたり、
切ったりして、誘因。

その結果・・・

とってもすっきりしました!!
ぶどうに関しては、二人とも全くの素人で、
本当にこれでいいのかは、わかりません。
でも、肥料も入れて、愛情も入れて、
なんとか整いました。
去年は、このブドウで、聖餐式のジュースや
ジャムが作れて、本当に感謝しましたからね。
今年はもっとおいしくなるんじゃないかなあ・・・
・・・って、期待してしまいますよねえ。

それにしてもぶどうの丈夫さには驚かされています。
さすが「ツル性」植物。
自分の隣の枝にさえしっかりとからみついて、
離れまいとしています。
ぶどうといえば、聖書の中には良く登場する植物。
イエス様が「ぶどうの木」、
私たちが「その枝」とされています。
だから、イエス様から切り離されたら、
たちまち死んだようになってしまいます。
イエス様にしっかりつながって、
そこから豊かないのちを頂いて、
平安や喜びの中で、生きていける。
ぶどうを世話していると、
いつもこのことを思い出されて、
嬉しい気持ちになるのです。
ここあでした。