義父が亡くなり店を休むべきかどうか迷った。しかし私は父や母や兄や姉が亡くなった時も店を休まなかった。
私の父親は「男は仕事が一番やからどんな時でも仕事を休むな」と私に教えてきた。だから私は仕事だけでなく学校もサラリーマン時代も店をしてからも高熱を出した時もずっと皆勤賞を通した。
といっても、5回だけは自分の決めごとを破ったことがある。
1回目は50代半ばにギックリ腰になってピクリとも動けなかった時。次の日はおもいきり湿布を貼ってコルセットを巻いてつかまり立ち、つたい歩きしながら店に出た。
2回目は娘が亡くなった時である。この時はさすがに夫婦ともども生きる望みを失くし何もやる気が起こらなかった。それと喪主である私にはすべき手続きや用事が多くて10日間も店を休んだ。
後の3回は60歳からの手術入院した時なので休まざるを得なかった。しかし休んでいる間にわざわざ店に足を運んでくれるお客さんに申し訳ないので、医者は1週間以上入院と言っていたが2日目に退院して店に出た。
そんな私が義父の死去により、それで店を休んでは却って義父が気を使うのでは?と、私の父母と兄や姉の時と同じ様に勝手な解釈をして店は休まなかった。
「仕事に責任感のある婿に娘を預けて安心した」、と義父に草葉の陰で喜んでもらえれば幸いだ。
私の父親は「男は仕事が一番やからどんな時でも仕事を休むな」と私に教えてきた。だから私は仕事だけでなく学校もサラリーマン時代も店をしてからも高熱を出した時もずっと皆勤賞を通した。
といっても、5回だけは自分の決めごとを破ったことがある。
1回目は50代半ばにギックリ腰になってピクリとも動けなかった時。次の日はおもいきり湿布を貼ってコルセットを巻いてつかまり立ち、つたい歩きしながら店に出た。
2回目は娘が亡くなった時である。この時はさすがに夫婦ともども生きる望みを失くし何もやる気が起こらなかった。それと喪主である私にはすべき手続きや用事が多くて10日間も店を休んだ。
後の3回は60歳からの手術入院した時なので休まざるを得なかった。しかし休んでいる間にわざわざ店に足を運んでくれるお客さんに申し訳ないので、医者は1週間以上入院と言っていたが2日目に退院して店に出た。
そんな私が義父の死去により、それで店を休んでは却って義父が気を使うのでは?と、私の父母と兄や姉の時と同じ様に勝手な解釈をして店は休まなかった。
「仕事に責任感のある婿に娘を預けて安心した」、と義父に草葉の陰で喜んでもらえれば幸いだ。