テレビで「19日午前11時50分ごろ、宮城県大崎市の古川インターチェンジ付近で数十台の車両が絡む多重事故が発生しました」とのニュースを放送していた。
私 「事故の原因はホワイトアウトやて」
妻 「ホワイトアウトて、何?」
私 「アメリカの大統領官邸や」
妻 「それ、ホワイトハウスやん」
私 「ホンマは大雪によって視界が奪われてしまう気象現象で、車の運転では危険な事や」
妻 「車の運転で危険?アンタ、気をつけや」
私 「俺が乗るのはこの近辺や。ホワイトアウトなんかなれへんわ」
妻 「ホワイトアウトになれへんかっても大雪でスリップしたら危ないやん」
私 「雪でスリップはせーへんけど、俺はダジャレでスリップするわ」
妻 「ホンマやなあ、よう滑ってるなア」
私 「返す言葉がないわ」
謎かけ:スリップとかけて、日暮れの防犯灯と解く。どちらも(転倒・点灯)します
2度目の緊急事態宣言で14日から飲食店の午後8時までの営業時短になった。
午後8時までと言われても当店は午後8時からの営業。しかもほとんど15分ぐらい遅刻する。
だから午後8時までの時短では営業できないので、2月7日までの25日間休むことにした。
そこで、この機会に体の悪い所は治そうと歯科、泌尿器科、耳鼻咽喉科、眼科の4カ所に通院している。
今日の午前中はコロナで1年ほど行ってなかった歯医者。歯垢の掃除、左の義歯の調整、右ブリッジ下の歯の欠損の治療をした。
午後4時からの耳鼻咽喉科は、長期の耳鳴り、後鼻漏、喉のイガイガで咳が出る、など、耳、鼻、喉の三本立て。
どちらも2時間半以上時間がかかり、通院のダブルヘッダーで一日をつぶした。
※ダブルヘッダー=野球で、同じ日に同じ球場で2回試合すること。
#ダブルヘッダー #有村正
散歩をしていると時々、周囲にふわりと芳しい薫りが漂ってきて、「いい香り~」と妻がうっとり。
私の散歩のルートには線香の老舗が多く、その工場から漂う良好な匂いは懐かしく感じて心が安らぐ。
堺の線香は16世紀の終わりに明の時代の中国から製法が伝わり、日本で初めて線香が作られたと聞く。
当時の堺は我が国有数の貿易港であり、原料の香木が集まりやすかった事や、寺院が多かった事で線香作りが発展したとか。
堺の線香は、選びぬかれた天然の香料の調合が特色で香の芸術品といわれています。
香料の調合率などは、それぞれの製造元の秘伝とされ、時代に合わせて工夫を加えながら受け継がれています。
そんな歴史がある堺線香の老舗が私の散歩道に多く点在し、時々芳香で心を和ませてくれる。
【散歩ルート(片道25分)の老舗】
梅栄堂 明暦三年(1657年)に創業
奥野晴明堂 享保元年(1726年)に創業(お薦め)
薫明堂 文化年間(1810頃)に創業
香仙堂 昭和4年(1929年)に創業
貴田沈清堂 昭和12年(1937年)に創業
森島如鳩堂 昭和13年(1938年)に創業
【散歩ルート意外で同じ堺区の老舗】
敷島線香 宝暦5年(1755年)に創業
薫主堂 明治20年(1887年)に創業
謎かけ 線香とかけて、SMAPのメンバーと解く。どちらもラインナップに(蚊取り・香取)が存在します
#線香 #4有村正
まとっていたものを全て脱ぎ捨てた街路樹で、無彩色になった街並み。
北から吹く冷たい風に草木はふるえ、私はコートの襟を立てる。
どこからともなく『商売繁盛笹もってこい!』の掛け声が聞こえてきた。
空を見上げると、『えべっさん』の宣伝飛行をするセスナ機が飛んでいる。
この近くの堺戎神社の『十日戎』の宣伝だが、天の声のように降り注ぐ。
私は10日の『本えびす』に、昨年の熊手を持って商売繁盛の祈願に行った。
今年のえべっさんは例年と違って新型コロナの感染対策のため、一方通行での参拝。
また、いつもは賑々しかった露店が境内での出店がなくなり、子供たちは寂しそう。
参道の店の前には少し飲食販売はあるが、いつものえべっさんと比べるとかなり物足りない。
大阪・ミナミでは、今宮戎の『本えびす』に行なっていた、宝恵かご行列が中止になった。
新型コロナで多くの人たちや事業者に影響を与え、社会や経済は冷えてきってしまった。
「コロナに負けへんで」と祈願すると、『お父さん、コロナに負けないで頑張ってね!』
天からの娘の声が、私の心に降り注いだ。
当初、散歩に出かける時に妻は鏡とにらめっこで、出発までに時間がかかっていた。
待たされる時間が長いと、せっかく散歩をしようと思う気が薄れて、散歩に行くのをやめてしまいたくなる。
だから「ちょっと歩くだけやから服装は家着のままでええやん。それにマスクと帽子とサングラスをかけたら誰か分かれへんで」と促した。
妻「ホンマやなあ、これやったら誰か分かれへんなあ」
私「そうやろ、俺も自分(妻の事)とは気が付けへんわ」
妻「なんでやねん!目の前で変装してるのん見てたやん」
私「その変装やったら大変そうと違うから、楽やなあ」
妻「変装と大ヘンソウ、早速ダジャレかいな」
変装をして以来、出かけるのが簡単になり、妻は起床きたら直ぐに「散歩に行こか」と私の背中を押すようになった。
謎かけ:変装とかけて、お葬式と解く。どちらも(仮装・火葬)をします
#変装 #有村正
Nさんは毎晩、4、5軒はしご酒をする。
私 「そんだけ毎晩飲み歩いてたらお金は残れへんやろな」
客S「そうそう、息子さんにお金を残しとかなアカンやん」
客N「子供にはお金は残せへんねん」
私 「お金を残せへんて、残すお金が無いのんと違うか」
客N「いや、葬式代ぐらいはあるで」
客S「葬式代て、なんぼぐらい残してるのん?」
客N「200万円あったら十分やろ」
私 「200万?息子さんは全部使えへんで。死んだらどんな葬式したか分からんからな」
客S「そうそう、直葬で11万9000円というのがあるで」
客N「直葬?」
客S「直葬は焼くだけや」
客N「焼くだけ?」
私 「それもレア、ミディアムレア、ミディアム、ウエルダンで選べるねん」
客N「ホンマかいな。ステーキじゃあるまいし、それは無いやろ」
私 「無いけど、本人の要望に応えられたらステーキやろな、思て」
客S「ダジャレを言いたかったんやろ」
客N「しやけど直葬やったら、参列者は来られへんやん」
私 「今は人が集まったらアカン時代や。葬式に出てコロナにかかって死んだら身もふたも無いで」
客N「ほんだらどないしたらええねん」
私 「今はリモートがあるやん。みんなに弔ってほしかったらリモートにしたらエエねん」
客S「リモート葬式、今風で面白いね」
客N「面白いて、俺の葬式をどない思てんねん!」
私 「今風のお葬式の話で、襲う士気の低下…」
客S「お葬式…襲う士気…、面白いやん」
私 「葬式の話、もうええわ!」
謎かけ:おそうしきとかけて、オリンピック出場者と解く。どちらも(線香・選考)がつきものです
昨日、一昨日と堺には多くの老舗があると話しましたが、堺には『もののはじまりなんでも堺』というように堺発祥の産業、文化がいくつもあります。
16世紀の堺は『東洋のベニス』と呼ばれ国際交易港として栄え、海外の優れた技術や文化が流入する窓口となり堺職人が作った新しい商品が全国に広がりました。
そして、貿易都市・商業都市として栄え、日本第一の文化・先進都市を誇り、なんでも堺がはじまりだというのが堺の人たちは自慢でした。
そこで、伝承も含めて堺が発祥の地として、「ものの始まりなんでも堺」といわれている主なものを集めてみました。
鉄砲、タバコ、包丁、線香、三味線、堺緞通、金魚、鳥毛・菱垣廻船、銀座、大筒、自転車、私鉄(阪堺鉄道)、木造洋式燈台、瓶づめの酒、公園、学生相撲、水練学校、傘、チベット探検、商業定期航空、ショベル・スコップ、謡曲、機械縫製足袋、堺更紗、医書大全、セルロイド工場、足踏み回転脱穀機、江戸浄瑠璃、隆達節、国道第一号、鉛丹、朱座、頼母子講、紙箱。
昨日、自宅近隣に多くの老舗があると話しましたが、今日は和菓子の老舗をお話しします。
中世の堺は国際貿易などで大きな富を成した商人たちの間で、「茶の湯」(茶道)が広まりました。
この「茶の湯」を「わび茶」として発展させたのが、堺の商人出身の武野紹鴎(ジョウオウ・利休の師匠)。
そして千利休と今井宗久(ソウキュウ)と津田宗及(ソウギュウ)は「天下三宗匠」と呼ばれていた。
そんな関係で堺は茶請けの和菓子作りも盛んになったとか。
以下は自宅周辺(徒歩15分圏内)の和菓子屋を紹介します。
くるみ餅の『かん袋』は鎌倉時代・元徳元年(1329年)に創業。
芥子餅の『本家 小嶋』は室町時代・天文元年(1532年)に創業。
大寺餅の『大寺餅河合堂』は安土桃山時代・慶長元年(1596年)に創業。
けし餅の『小島屋』は江戸時代・延宝年間(1670年代)に創業。
最中の皮専門店『泉忠』は江戸時代・寛政年間(1790年代)に創業
肉桂餅の『八百源来弘堂』は江戸時代・寛政年間(1790年代)に創業。
抹茶かき氷の『つぼ市製茶本舗』は江戸時代・嘉永三年(1850年)に創業。
むらしぐれの『むか新』は明治25年(1892年)に創業。
斗々屋饅頭の『丸市菓子舗』は明治28年(1895年)に創業。
乳守もなかの『南曜堂』は大正10年(1921年)に創業。
大鏡の『曽呂利』は昭和25年(1950年)に創業。
天神餅の『御菓子司 天神餅』は昭和27年(1952年)に創業。
以上の店は自宅近隣ですが、堺には他にも多くの和菓子の老舗があります。
※宗匠(そうしょう)とは。意味や解説、類語。文芸・技芸などの道に熟達しており、人に教える立場にある人。特に、和歌・連歌・俳諧・茶道・花道などの師匠。
※明日は『もののはじまりなんでも堺』をお届けします