ひげマスター・ciciありむらのおとぼけ日記(ブログ五七五) 

好奇心旺盛!趣味はHP作成、カラオケ、似顔絵、ギター、映画、作詩、etc。特技はスナック芸

義父の回想~涙の電話

2013-02-28 03:40:08 | Weblog
 義父がICUに入ってから1週間目、「お父さんの意識が戻らなくなる」と義姉から泣きながら妻の携帯に電話があった。血管の手術後に併発した脳梗塞が悪化して植物人間になるとか。妻もその言葉を聞いて、「もう二度と、お父さんと話が出来(デケ)へん」と涕泣(テイキュウ)した。
 「87歳での大手術は無理があったんや」「手術をさせんといたらよかった」と義姉は自分を責めるが、担当医に「治して下さい」と頼んだのは義父だから義姉に責任は無いと思う。
 また、これまでに前立腺や胆石や大腸など3回ほど手術入院をしたがいつも元気になっていたので、義父も私たちもその思いがあり「すぐに元気になって退院出来る」と、今までと同じような気持ちでいた。
 義姉が知人に「歳をいったら、あんまり手術せん方がエエで」と言われたのを思い出し、手術前の説明に立ち会った義姉は何度も「手術をさせんといたらよかった」と悔やんでいた。
 妻は「お父さんの面倒をよう看てたたやん。私なんか何にもしてへん」と義姉に言い、私も「お父さんの世話をよう頑張ってた。お父さんは喜んでいると思うで」と励ました。
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義父の回想~お見舞い

2013-02-27 03:09:44 | Weblog
 義父がICUに入って数日後、妻と見舞いに行った。ほんの僅かに開いた目は力なくうつろだった。
 「私たちの事、分かるのかなあ」と妻が言うと、看護婦さんは「耳は聞こえている場合もあるので声をかけてあげて下さい」と言った。
 妻は「お父ちゃん、起きてやー!」「目を覚ましてやー!」と涙ながら何度も何度も声をかけた。そして私に「アンタ、お父さんに何か喋り」と言うが胸が詰まって言葉が出ず、ただただ手を握るだけで精一杯だった。
 私より小柄なお義父さんの手が腫れて私よりかなり大きな手になっていた。少し熱かったので看護婦さんに尋ねると「朝は38.3度で今は37.6度」とのこと。
 「手術する前までは元気に自転車に乗ってあちこち行っていたのに…」「家にお風呂があるのに風呂仲間と将棋をしに風呂屋に行ってたのに…」「孫やひ孫の顔を見に姉の家へ行ってたのに…」
 元気だった義父が手術してから意識が無い状態になり、妻は「なんで、こないなったん」と看護婦を責めるように無念の気持ちをぶつけた。
 だが帰り際に「看護婦さんには責任は無いけど、何か言わないとはち切れそうな気持ちの持っていきようがないねん。ごめんね」と妻は謝った。
 そして「今度来る時は今日よりも良うなったらエエのになあ」とキセキを願いながら妻と病院を後にした。
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義父の回想~手術の日

2013-02-26 05:34:17 | Weblog
 義父の手術に立ち会ったのは義姉親子。妻が「私らも行く」と言ったが、「あんたらは仕事があるから今日は来(コ)んでもエエ。手術が終わってから、何ぼでも来たらエエやん」と言ってくれたのでお言葉に甘えた。
 義父が手術室に入る前に義姉が「頑張ってや」と励ましたら義父は「帰ってこられへんかも知れんぞ」と言ったそうだ。
 看護婦さんも「殆んどの方がココから出て元気になっていますよ」と声をかけたが、大動脈瘤の手術は6時間の予定が12時間の大手術、そしてICUに入って集中治療を受ける身となった。
 義姉の話では今回の手術は血管だが脳に血管内のゴミが飛んで脳梗塞になったとか。肺がんと腎臓の手術も控えていたが、「こんだけ大変やったら今度の肺がんの手術は断ろな」と家族で話し合っていたのに、まさか帰らぬ人になるとは思いもよらなかった。 
 私も妻も義姉のファミリーもみんな元気になると信じていただけに、手術前の義父の言葉が胸に焼きついて、「お父さんは何かを感じてたのかなあ」と義姉は思ったそうだ。
 私たちは去年の11月以来会っていなかったので、今さらながらに無理をしてでも手術に立ち会えばよかった。手術前日の車の故障がやけにうらめしい。
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義父の回想~車の故障

2013-02-25 06:40:42 | Weblog
 2月7日木曜日
 「手術する前にお見舞いに行っとこ」と妻と話し昼食を済ませてから出発。しかし20分後、病院まで半分の距離の所で車が故障、立ち往生した。
 妻が先に見舞いに行っている義姉に故障で遅れることを電話すると、一緒に居た姪が車の電気関係の仕事をしている彼女の旦那さんに電話をしてくれた。
 私は車を買った販売会社に電話するもずっと話し中で繋がらない。妻がまた義姉に電話すると「思わせぶりするんやったら、来(コ)んでもエエとお父さんが言うてる」とか。義姉は遅れる理由を車が故障したと言わずに、急に用事が出来たからと説明したそうだ。
 妻は義父の言葉に怒ったが、「お父さんは会いたかったのに期待が外れたのでそんな口調になったんや。それだけ会いたいという気持ちが強かったんや」となだめた。
 そうこうしているうちに姪の旦那さんが「電気系統の故障かも?」と思い新しいバッテリーを持って来たが、繋いでも動かなかった。牽引するにも彼の軽自動車ではベンツは重たくて出来ない。
 「オッチャン、JAFに入ってないの?」と尋ねられ、私は「月に約40km、殆んど市内のスーパーでの買物と日曜日に食事に行くぐらいしか乗らないのでJAFには入っていない」と返答。
 そこで彼の知り合いに積載車を頼んだが急には来れず2時間待った。車を積んで販売会社指定の修理工場で運び終えたのが午後の6時半。結局、義父の見舞いは行けなかった。
 「今まで走行中に故障した事がなかったのに、こんな時に限って故障とはツイテないなあ」と妻がつぶやいた。
 「しやけど、次に見舞いに行くのは日曜日。日曜日に故障してたら姪の旦那さんも修理工場も休みでもっと大変になるとこやったで。考えようによったら今日、故障してて良かったで」と納得させる。
 しかし、この時点では義父と二度と会話が出来ないとは思いもよらず、結果的に会えずじまいで不運が悔やまれる。
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お葬式

2013-02-24 06:46:24 | Weblog
 23日は友引きだったが斎場と火葬場の状況から、今日しかなかったので葬儀は今日の12時になった。
 義父は他人(ヒト)様には気前よくお金を貸したり奢ったりするが、人一倍気を使うのを嫌うタイプなので「俺が死んだら、家族葬にしてや」とずっと言っていた。
 その意思を酌んで葬儀場は立派だが家族葬にした。しかし、誰が伝えたのか予想以上の人が参列した。これも義父の人徳だろう。
 葬儀後の「精進落し」の場では、昨日、スナック芸のコツを教えた人が出来たので、今日はレベルが少しアップしたスナック芸を3つ披露した。
 数人が挑戦して出来た人はいなかったが、義父の火葬炉入棺後の暗い雰囲気を払拭して和やかな雰囲気になった。
 「骨上げ」では、変わり果てた義父の骨と骨灰に、あちこちからすすり泣く声と「もう、会われへんねんなあ」との声が聞こえた。
 初七日も済ませて中華料理店に寄ってから19時半に帰宅、今日は2時間程しか寝ていないが20時過ぎから店を開けた。
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お通夜

2013-02-23 07:12:34 | Weblog
 今日は夕方の6時から義父のお通夜だった。場所は私の娘がお葬式をした同じ斎場だ。
 妻は二人姉妹で義姉は20年前に旦那さんと死別をし、義父にとって男手は私一人なので喪主の義姉に「私に手伝う事があったら何でも言うてや」とサポートを申し出た。
 早速、娘の葬儀の時に懇切丁寧だった葬儀屋に電話をかけて義姉に紹介し、病院からの搬送、葬儀の段取り、斎場の手配をしてもらった。
 お通夜は親族のみでするつもりだったが、遠い親戚や知人もかけつけた中でしめやかに営まれた。
 お焼香、読経も終わり別室での「通夜ぶるまい」の時に、数人の親戚の方が私のテレビを見たと言ったので一つだけスナック芸を披露した。
 親戚の方々とはこれまでほとんど会話をした事が無かったが、これをきっかけに親しく会話をした。
 私は仕事があるので妻を残して帰宅したが、妻は娘の時と同じ部屋で娘を思い出しながら、義姉の家族と一緒に義父の棺の寝ずの番をしている事だろう。
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義父が他界

2013-02-22 05:09:14 | Weblog
 妻のお父さんが2週間前に胸部(弓部と下行)大動脈瘤(リュウ)の手術を受けたが、そのままずっと意識が戻らず21日の午後1時58分に87歳で他界した。
 ブログに書くべきかどうか悩んだが、お義父(トウ)さんのことを綴って、この世に生きていた証しを残すのも供養になると思い、書くことにした。
 死亡のきっかけは1か月前に心臓の手術を受ける予定だったが血管に危険な状態の大きな瘤(コブ)が2か所見つかり血管の手術をしたが、それが原因で脳梗塞(ノウコウソク)を併発したからだ。
 手術は6時間の予定が12時間にも及ぶ大変な手術だったことを立ち会った義姉に聞かされ、義父の年齢を考慮すると驚きと心配が交錯した。
 それまでは元気だった義父は、手術前の医師の説明を受けた時に植物状態になるのは“稀(マレ)”だと言われたので、「治して下さい。孫もヒ孫もいてまんねん」と手術を受諾したそうだ。
 それが残酷にも“稀”の結果になり2週間もICU(集中治療室)に入ってしまい、結局は1度も意識が戻らないまま、家族ともっと話をしたかった筈なのに話をする事無くあの世へ逝ってしまった。
 医師が成功率が50%と言っていたら、いや70%でも年齢を考慮して断っていたのに“稀”の言葉に安心して医師に任せたのが悔やまれる。
 お義父(トウ)さんには今まで色々な助言や叱咤激励を頂き、私にとってはかけがえのない人となり、いつまでも心に残る存在になった。
 当分の間、私のブログは義父の回想を綴っていきたいと思います。
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カラオケ喫茶

2013-02-21 07:07:32 | Weblog
 お客さんに学生時代のクラブを聞くと、M君は陸上部でJ子ちゃんはテニスをしていてたとか。

 ママ「テニスは前後左右に走り回るから大変やね」
 客J 「本当に疲れるよ」
 ママ「見てるだけで疲れるわ。応援する人も疲れるやろね」
 客J 「テニスの試合中は静かにしないとダメやねん」
 私 「へえ、普通、スポーツ言うたら応援がやかましいぐらいなのが普通やのにね」
 客J 「観客が少しうるさくすると審判が「クワイエット」とマイクで注意するの」
 私 「へえ、静かにしろと言われるのん?」
 客J 「テニスは集中力が大事やから、観客席は試合中、シーンとしてるわ」
 私 「カラオケ喫茶みたいやなあ。あそこも私語禁止で客はシーンとしてるなあ」
 客M 「そうそう、私語禁止の張り紙してるもんなあ」
 私 「ほんだらここは天国やなあ。私語の世界…死後と私語」
 ママ「アンタ、上手いこと言うなあ。スナックは会話が無かったらシラけるからな」

 一句:黙りましょ カラオケ喫茶は 私語禁止
 謎かけ:カラオケ喫茶とかけて、喪中の初詣と解く。どちらも(私語・死後)はダメです
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席次

2013-02-20 05:34:35 | Weblog
 S君の出身校は大阪市内ではランクの低い高校だ。

 私 「何処の高校出たん?」
 客S「○○高校やねん」
 私 「○○高校かいな」
 客S「しやけど、こう見えても高三の時はクラスで3番目やったんやで」
 私 「後ろからか?」
 客S「失礼な、前からや」
 私 「ひょっとしたらそのクラス、3人しかいて無かったんと違うの」
 客S「何でやねん!1クラス40人はいてたわ」
 私 「ほんだら凄いやん」
 客S「しやけど、俺とこの高校は進学校と違うから3年生になったらみんな勉強しよれへんかってん」
 私 「ああ、それでかいな。みんなが勉強せえへんかったからクラスの上位に食い込めたんや」
 客S「そういうことや」

 一句:級友の 手抜きで上がった 席次かな
 謎かけ:席次とかけて、大凧と解く。どちらも(上がる・揚がる)と嬉しい
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ダウンジャケット

2013-02-19 06:27:04 | Weblog
 お客のK子さんがダウンジャケットを着てきた。

 私 「軽そうなジャケットやなあ」
 客K「最近の冬は昔より暖かくなてきたのかな?分厚いコートを着なくなったわ」
 私 「温暖化のせいかな?」
 客K「今、毛皮のコートとか革ジャンを着てる人を見かけなくなったもんね」
 私 「今はダウンジャケットを着る人が多いなあ」
 客K「ダウンは昔は数万円してたけど、今は数千円であるもんねえ」
 私 「あれは値段が下がるもんや」
 客K「あら、どうして?」
 私 「ダウンやから下がる」

 一句:今のダウン 重量、価格 ダウンした
 謎かけ:ダウンジャケットを着たとかけて、インド東部の都市と解く。どちらも(軽かった・カルカッタ)
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