西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

5-富士田吉治

2009-07-26 | 時系列的長唄の見方(c)y.saionji
富士田吉治―4

吉次は唄浄瑠璃のニューバージョンを創作したことで
知られているが、そもそもが一中節の太夫出身なのだから
浄瑠璃がかった長唄を作ったとしても何の不思議もない。

先達の吉住小三郎も唄浄瑠璃を得意としたが、
小三郎の時代は、まだまだ「長歌」が「長唄」に移行する過渡期。
吉次は小三郎がアレンジしなかった、
一中節や、豊後系の浄瑠璃を取り入れ、新境地を開いたことで知られる。


ところが、「鷺娘」は自分の師匠の相三味線だった杵屋忠次郎に遠慮をしてか
(7/24日のブログに書いたように、私は独断と偏見で、
吉次は仙四郎の弟子と考えている)、まだその個性を生かせずにいる段階だ。

始めの鼓唄、
『妄執の雲晴れやらぬ 朧夜の
 恋に迷いし 我が心』

と、段切れの
『哀れみ給え 我が憂き身
 語るも涙 なりけらし』

以外は、普通の節付けだ。

これはやはり力関係からいっても、忠次郎の意向が強かったのだろう。


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tea breaku・海中百景
photo by 和尚