西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

福島

2010-07-31 | 仕事関係
今日は福島へ行ってきました。

東北新幹線で約1時間40分、お昼前に着いたのですが、
福島も暑かった。

午後から早速稽古が始まりました。
子供たちは感心にもみなさん、浴衣姿で可愛い!


後ろに立っている方がこの教室の先生で、今日のレッスン曲
(家元作曲のご当地ソング)はすでに指導ずみ、
みんな暗譜で弾いていたのには、びっくり!
前列の4人は唄です。

このような教室があるのを知りませんでした。
それぞれ色々と普及活動をなさっているのですね。


今回は、10月17日に行われる、
「見て、聴いて、笑って、日本を楽しもう!」という
イベントのためのレッスンです。
この曲に合わせて、舞踊教室の子供たちが踊ります。

地元も力を入れていて、
今日もNHKが取材に来ていました。
本番にはお囃子も入りますので、
さぞすてきな仕上がりになることでしょう。

元禄風花見踊りーその4

2010-07-30 | 曲目 (c)yuri saionji
元禄風花見踊りーその4


『花と月とは どれが都の眺めやら
 かつぎ目深にきた嵯峨御室
 二条通りの百足屋が
 新奇凝らした 真紅の紐を
 袖へ通して繋げや桜
 疋田鹿の子の小袖幕
 目にも綾ある小袖の主の
 顔を見たなら なおよかろ
 ヤンレそんれはへ』

●桜と月と、どちらも都にはよく似合う。
 かつぎを目深に被り、北嵯峨の仁和寺に花見に集う女たち。
 二条通りの百足屋が、意匠を凝らした真っ赤な紐に、
 小袖を何枚も通して、花見幕を作りましょう。
 疋田絞りのすてきな小袖、主はさぞやすてきなお方に違いない。

御室とは、仁和寺の別称。
ここには御室桜という、背丈の低い遅咲きの桜があり、
京の桜の見納めとばかり、
見頃になると、庶民で賑わう花見の名所でもある。

そこへ着飾った女どもが、花見小袖を競いにやってくる、という設定。
 
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tea breaku・海中百景
photo by 和尚

元禄風花見踊りーその3

2010-07-29 | 曲目 (c)yuri saionji
「元禄風花見踊り」ーその3

『連れて着つれて行く袖も
 たんだふれふれ六尺袖の
 しかも鹿の子の岡崎女郎衆
 裾に八つ橋染めてもみたが
 ヤンレ ホンボニそうかいな
 そさま紫色も濃い
 ヤンレ ソンレハそうじゃいな
 手先揃えてざざんざの
 音は浜松よんやさ』

●さあさあ、着飾って連れ立って行きましょう。
 大振り袖を無邪気に振ってさ、
 しかも鹿の子の振り袖を、ときたら、岡崎女郎衆でしょう。
 「岡崎女郎衆はよい女郎衆」と唄われる。
 裾には八つ橋を染めてみました、いかがかしら。
 あら、そうですか、
 あなた様は紫を着るご身分ゆえ、情にも厚いのでしょうな。
 ほんに、ほんにそのとおり。
 指先を揃えて踊りましょう、賑やかに。
 ざざんざといえば、浜松の松風の音、結構結構。
 
六尺の袖といえば、180センチ。そんなものを引きずっては歩けない。
片袖90センチ、両方合わせての称だ。

古来、紫の衣は許しもので、誰でもが着られものではなかった。

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tea breaku・海中百景
photo by 和尚 

元禄風花見踊りーその2

2010-07-28 | 曲目 (c)yuri saionji
「元禄風花見踊り」(1878・明治11年・新富座)

『吾妻路を
 都の春に志賀山の
 花見小袖の縫い箔も
 派手をかまわぬ伊達染めや
 よき琴菊の判じ物
 思い思いの出立ち栄え』

●花の都東京、しかも春爛漫の花見時。
 仲蔵の、団十郎の、菊五郎の花見小袖の、
 まあ何と豪華で派手で、見事なこと。
 皆、凝りにも凝った出で立ちで登場ですよ。

このくだりは、総踊りの役者たちの衣装を描写している。
志賀山とは、江戸初の振付け師、志賀山万作のこと。
初代中村仲蔵の養母、俊は万作門下で、江戸一番の踊りの名手といわれた。
この曲の当代は3代目で、志賀山流家元の息子。

かまわぬとは、鎌と輪とぬをデザインした、団十郎好みの模様
(6/30の記事を参照のこと)。

よき琴菊とは、斧と琴と菊をデザインした、菊五郎好みの模様。
”構わない”のかまわぬ同様、”善き事を聞く”のもじりだ。

NHK録音

2010-07-27 | 仕事関係
今日は、NHKの録音に行ってきました。

「春秋」と3世今藤長十郎作曲の「菊の泉」の2曲を録りました。
8月10日(火)AM11 時~NHKFM「今日の邦楽」で放送されます。

「菊の泉」は、さる方の還暦を祝って先代家元が作曲なさった曲ですが、
とても若い頃の作とは思えない、完成度の高さです。

一方の「春秋」も、杵屋勘五郎(5代目)30歳の時の作です。
勘五郎も、天才的なひらめきとテクニックの持ち主だったとかで、
どちらも’栴檀は双葉より芳し”を地でいった人物です。

その発想は、およそそ凡人には及びもつきませんが、
作品を通して作曲者の思想、思考を感じ取ることができます。
そして、それを作り出した当時の情熱を咀嚼して、
今の時代感覚と、自分の解釈を加えてリメイクするのが、
演奏者としての楽しみでもあるのです。

演奏を終えてニコッ、の長十郎氏。
頭だけ見えているのは、杵屋三澄氏です。


今日のスタジオは一番広い509、
紅い毛氈の見えているところで演奏しました。
遠くに人が見えているところが、お茶飲み場。