歌川国芳(寛政9~文久元・1798~1861年)の浮世絵
「妙でんす 十六利勘」(弘化2・1845年)をもう一つ。
タイトルは「迷者損者(まようはそんじゃ)」
書き入れを見てみよう。
「十六りかんのかんじく(巻軸・末尾)を まようはそんじゃと申しまする
この十六のそんじゃ つまる所は おのれおのれが一心より いずるなり
一心さえ正しければ なに事もなし なに事もなければ くろうもなし
くろうもなければ あんじる事なし
まよえば悪女も びじんとみえ
ふんどしの ほしたのも ゆうれいとまちがえ
よくにまよえば まいごふだ(迷子札)も こばんとみえ
たくあんの こうこう(香香・つけもの)をみても こばんを おもいだし
へびがいても こしおび(腰紐)かと おもい
ひきがえるがいても さいふかと おもい
ゆきがふれば これが こめ(米)か しお(塩)ならよかろうなぞと
つまらぬことを おもい
じさん金(持参金)がつけば かさね(累・醜女の称)も小町(美人の称)とみえ
かる石づら(あばた顔)も なり平(業平・美男の称)とみえる
これみな よくの まよいなり
利よく しきよく(色欲)にまよえば そのみを はたし(破滅)
いなかみちに まよえば 狐にばかされ
子ゆえに まよえば よるのつるべずし(鮎鮨)をかいたくなり
○からにまよえば 目うつりがして いけず
かがみにむかいて わらえば わらいがおうつる
これ おのれが心がうつるなり
心がまよえば 目にみるものも まよってみえ
まようことなければ そんをするきづかい(心配)なし
ほとけも おにも わが心より生ずるなり
ゆえに かいらいし(傀儡師・人形遣い)のにんぎょうをもって
このどうりを よくさとるときは なに事もめでたく
とかく まよいは そんじゃと おしえたまう
うたに
ゆくすえが かがみにうつるものならば 娘さかりも しわくちゃばばあ
なんと このとうり まよいっこなしだよ」
「十六利勘の巻軸」とあるから、これが十六番目の絵と分かる。
鏡を見ている娘、鏡にしわくちゃばばあが映っていたらびっくらだ。