西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

鏡獅子―64

2009-07-07 | よもやま話 (c)yuri saionji
9代目市川団十郎の創案した「鏡獅子」だが、
団十郎没後(1903年)は上演される事もなく、
静かに眠っていた。

時代は大正へと変わり、第一次世界大戦が勃発する。
その翌年(1915)、2月の市村座で、尾上菊五郎(6代目)が、
「鏡獅子」を復活上演。

そして、昭和9年(1939)、勢いにのった日本は満州国を建国。
世界が第二次世界大戦へと突入する中、
いけいけドンドンの満州国には、映画スターや、
歌舞伎役者などの一座が、次々と慰問で訪れるようになる。

そんな時代に彫刻家の平櫛田中が、菊五郎の「鏡獅子」の彫刻に取りかかった。
菊五郎は下帯一枚の裸体でポーズをとり、衣装の下にある身体を描かせるという
力の入れよう。

だが、この彫刻は戦時下のどさくさで中断をよぎなくされ、終戦を迎える(1945年)。
戦後は、焼け残った帝国劇場で「鏡獅子」が上演された。
その後、菊五郎はみまかり(1949年)、
田中が87才となった昭和33年(1958)、製作着手から実に22年の歳月を経て、
2メートルにもおよぶ大作「鏡獅子」は完成した。

現在国立劇場大劇場のロビーに飾られているのが、その「鏡獅子」だ。


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tea breaku・海中百景
photo by 和尚

コメント
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