西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

賤機帯-4

2012-04-30 | 泣けます、長唄
賤機帯-4


舟の客に「気違い、気違い」と囃された狂女は振り返り、
「情けない…」と嘆く。

「物に狂うは我ばかりかは
 鐘に桜の物狂い
 嵐に浪の物狂い
 菜種に蝶の物狂い
 三つの模様を縫いにして
 いとし我が子に着せばやな…」
 
● 物に狂うのは私だけではないぞ、
鐘に桜、嵐に浪、菜種に蝶、みんな物狂いだ。
この三つの模様を刺繍にして、かわいい我が子に着せたいものよ。

“鐘に桜”の桜とは、桜満開の春の日に
紀州の道成寺に“鐘供養”に現れた白拍子の例えだ。

白拍子は清姫の化身で、男に裏切られた女の怨念が蛇体となり、
この鐘に隠れた安珍を焼き殺したという伝説がある。
だから「鐘に恨みは数々ござる」という歌詞が成り立ち、
鐘と桜はセットとなる。

“嵐に浪は”、北斎の浮世絵富嶽三十六景の「神奈川沖浪裏」的イメージか。
“菜種に蝶”はいわずもがなだろう。

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tea break・海中百景
photo by 和尚
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賤機帯-3

2012-04-29 | 泣けます、長唄
賤機帯-3


隅田川の渡し場で狂乱している女を、舟の客が囃す。

「舟人これを見るよりも
 よい慰みと 戯れの
 気違いよ 気違いよと
 手を打ちたたき 囃すにぞ」

「気違い」という言葉は、江戸時代の始めに生まれた言葉だそうで、
それまでの「物狂い」の新バージョンといった感覚だろう。

「気違い」は1670~80年代頃まで使われていて、
その後「乱気」「乱心」という言葉も使われるようになったという。

「賤機帯」の原曲となった一中節の
「峰雲賤機帯」(おのえのくもしずはたおび)が初演されたのは
宝暦元年(1751)だから、「気違い」という言葉は元気にあったわけだ。

今では差別用語とされ、放送禁止なってしまったが、
1970年ころまではメディアでもおおらかに使われていた。

演奏会ではともかく、NHKの邦楽番組でも「賤機帯」はこの歌詞ゆえ、
長い間放送御法度だった。
今では、あえて録音する場合はこの部分の歌詞を換えて演奏される。
しかし、やはりニュアンスが違ってしまう嫌いはある。

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tea break・海中百景
photo by 和尚



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賤機帯-2

2012-04-28 | 泣けます、長唄
賤機帯-2


「笹の小笹の風いとい
 花と愛でたる うない子(童子)が
 人商人に誘われて
 行方いずくと 白木綿の
 神に祈りの道尋ね」

「蝶よ花よと育てた我が子が、人さらいに連れられて
行方知らずになってしまった。神のご加護にすがりこうして尋ね歩いている」
と、まずは狂女の心境を綴る。

能でいえば、名乗りにあたる。

 「浮きて漂う岸根の舟の
 こがれ焦がれて いざ言問わん
 我が思い子の 有りや無しやと狂乱の
 正体なきこそ文なけれ」
 
● 川岸に漂う小舟を漕ぐように、漂い漂いここまで来た。
私の可愛い子供は、生きているの死んでいるのか、
どっちでしょう、どっちでしょう、と狂い乱れる女、
形振りかまわぬ姿がなんとも哀れだが、そのかいもない。 

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tea break・海中百景
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賤機帯-1

2012-04-27 | 泣けます、長唄
賤機帯-1

賤機(しずはた)とは、倭文(しず)という麻布を織る機のことで、
それで織った帯を倭文機帯(しずはたおび)という。

身分の賤しい者が着用したので賤の字を当てて「賤機帯」と題した。

この曲は杵屋三郎助(4世)の作曲で、
文政11年(1828)に山王神社の本祭で初演された。

内容は謡曲「隅田川」と「桜川」をアレンジした、狂乱もの。

我が子梅若を人買いに攫われて狂女となった母が、
梅若を捜し求めて隅田川の渡しに辿り着く。

狂女は笹をかついで登場するが、
これは“狂い笹”といい、登場人物が物狂いであることを
知らせるお約束の小道具だ。

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tea break・海中百景
photo by 和尚
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勧進帳-5

2012-04-26 | 泣けます、長唄
勧進帳-5


酒を飲み干した弁慶は、
ここで「延年の舞」を舞い、富樫に手向ける。

これは寺の遊僧(芸能担当の僧)が行事や法会の際に舞うもので、
参拝者の長寿を祈念する意味合いを持つ。

これから死が待っている富樫に、
長寿を祝う舞いを手向ける弁慶。

舞が終盤に近づくと、弁慶は舞いながら四天王に目配せをして
皆をまず逃す。

そして、弁慶は笈を背負い、金剛杖を手にし、
富樫に頭を下げて後を追う。

富樫の見送りで定式幕が引かれ、最後の見せ場となる。

弁慶は幕の外で富樫に深々とお辞儀をし、
「飛び六法」を踏んで花道に引っ込む。

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tea break・海中百景
photo by 和尚


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