連獅子―7
「勝三郎連獅子」の11年後(1872年)に今度は、杵屋正次郎(3世)が、
まったく同じ歌詞の「連獅子」を出した。
こちらは「正次郎連獅子」という。
坂東彦三郎(5代目)と、沢村訥升(2代目)による、
市村座の所作のために作られた。
作詞は不祥だが、内容からみて河竹新七の
「連獅子」を下敷きにして、
恐らくは市村座の座付き作者がアレンジしたのだろう。
勝三郎の方は、花柳芳次郎の名披露目、
正次郎の方は芝居の所作。
目的の違いが、おのずと曲に反映される。
正次郎のは、子獅子を蹴落としたあと、
なかなか登ってこない子獅子に、「やはりこれまでか」
と、落胆し、しみじみと涙するうちに、
元気よく掛け登ってきた子獅子と、
喜びの舞を舞う、という芝居ならではのドラマティックな見せ場がある。
tea breaku・海中百景
photo by 和尚
「勝三郎連獅子」の11年後(1872年)に今度は、杵屋正次郎(3世)が、
まったく同じ歌詞の「連獅子」を出した。
こちらは「正次郎連獅子」という。
坂東彦三郎(5代目)と、沢村訥升(2代目)による、
市村座の所作のために作られた。
作詞は不祥だが、内容からみて河竹新七の
「連獅子」を下敷きにして、
恐らくは市村座の座付き作者がアレンジしたのだろう。
勝三郎の方は、花柳芳次郎の名披露目、
正次郎の方は芝居の所作。
目的の違いが、おのずと曲に反映される。
正次郎のは、子獅子を蹴落としたあと、
なかなか登ってこない子獅子に、「やはりこれまでか」
と、落胆し、しみじみと涙するうちに、
元気よく掛け登ってきた子獅子と、
喜びの舞を舞う、という芝居ならではのドラマティックな見せ場がある。
tea breaku・海中百景
photo by 和尚