西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

坂田兵四郎 その21

2010-09-30 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
「七小町」


「無間の鐘」が大当たりした翌年の夏、芳沢あやめが死んだ。
その葬儀の盛大なことといえば空前絶後、
道頓堀は芝居関係者や、とむらいの見物人で溢れた。

あやめ亡き後、名実ともにナンバーワンの女形となった菊之丞は、
初めて江戸中村座に招かれた(1730・享保15年11月)。
市川団十郎(2代目)が座頭の、『入船蛭小嶋』。
菊之丞はその中で「七小町」の所作を勤めた。
雨乞小町や関寺小町、草子洗小町など、小町七変化の趣向だ。

「七小町」は当然、京での演目の再演だろうから、
芝居歌か長歌の地で、唄ったのは坂田兵四郎だろう。
菊之丞の所作は、兵四郎なしでは存在しない。

上村作十郎は同行していなかったようで、
三味線は囃子頭の杵屋の7代目(6代目はこの2月に死んだばかり)
作十郎が弾いたか。

かつては三味線弾きも同行したようだが、
教則本の普及により、今では口三味線式の記譜法が汎用化したので
三味線弾きは現地調達ができるのだ。

 〓 〓 〓

tea breaku・海中百景
photo by 和尚
コメント

坂田兵四郎 その20

2010-09-29 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
あやめ草


「無間の鐘」の大当たりで、菊之丞は若女形“巻頭上上”に上り、
復帰8年目にして、女形のトップに立った。

顔は並、声はよくない、踊りは取り立てて巧いわけでもない。
そんな菊之丞がここまできたのは、
朝起きて寝るまで(もちろん寝ている間も)女として通すという、
ストイックなまでの女形への執着心と、
その雰囲気を際立たせる兵四郎の、独特の唄声あってのことではない だろうか。

菊之丞の恩人、芳沢あやめは、芸談「あやめ草」のなかで、
女形は日常生活においても、徹底的に女を意識して暮らさねばならぬ、
と説いているが、菊之丞はそれを律儀に実践した。

ただし、あやめは女と所帯を持ち、4人の息子がいるのだから、
男としての時間もあったということだ。
四男は、後に「京鹿子娘道成寺」で一世を風靡することになる中村富十郎。

 〓 〓 〓

tea breaku・海中百景
photo by 和尚
コメント

坂田兵四郎 その19

2010-09-28 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
「しぐれがさ」

「思いには どうした花の咲く事と
 身にぞ知らるる 憂や辛や
 いかに習いじゃ勤めじゃとても
 嫌な客にも逢わねばならぬ
 野暮ならこうした 憂きめはせまじ
 いとし男はああままならず
 首尾の合図や手管の枕
 無理な事でもどうやら可愛い」

菊之丞が舞台復帰をするキーパーソンとなった
芳沢あやめは、抱え主が始三味線方だったため、
始めは三味線をきびしく仕込まれたという経緯を持つ。
菊之丞の『けいせい満蔵鑑』の「無間の鐘」の場面に
上記、“ぬめり”の「しぐれがさ」が合うのでは、という発想は
もしかしたら、あやめのひらめきかもしれない。

「無間の鐘」の大当りで、京の色町に“無間の鐘あそび”
(遊女が菊之丞のまねをして、手水鉢を打って遊ぶ)
なるものが大流行し、同時に「しぐれがさ」ももてはやされた。

「無間の鐘」=「しぐれがさ」は、いつしか合体し、
曲の題名が「無間の鐘」となる次第。

 〓 〓 〓

tea breaku・海中百景
photo by 和尚
コメント

坂田兵四郎 その18

2010-09-27 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
「無間の鐘」

しかし、「無間の鐘」の上演はこの時が初めてではない。

坂田藤十郎が、“夕霧もの”のヒットを
打ち続けていた頃、大坂の女形谷島主水が、
傾城うらはを演じた『けいせい小夜の中山』
(1689・元禄2年・大坂荒木与次兵衛座)が最初だ。
この演目も大当たりを取ったが、
大坂に“長唄”が上陸してからまだ3年。
芝居歌を効果音的に使ったか、否か、分からない。

その後、加茂川のしおや、芳沢あやめも演じている。
この二人の時代には、役者自らが狂言に即した歌詞を書くように
なっていたので、なにがしかの曲を地に使ったかもしれない。

だが、菊之丞の「無間の鐘」は、坂田兵四郎の唄う、「しぐれがさ」
がバックに流れていたからこそ、
またその内容が遊女の辛い憂き身を唄ったものだったからこそ
客の心をゆさぶったのではなかろうか。

 〓 〓 〓

tea breaku・海中百景
photo by 和尚
コメント

今藤会

2010-09-26 | 仕事関係
今日は国立劇場大劇場で
「3世今藤長十郎27回忌追善、今藤会」がありました。

朝の10時45分に幕が開き、
今藤の名取り100名による「廓丹前」。
そして次が、素人さん達90名による「花見踊り」。

朝早くから新幹線でかけつけた、宮川町の舞妓ちゃんたちが
前列に並んで熱演です。


舞台の袖で、どなたかのバッグを預かり、
ニコニコしていらっしゃる杵屋栄八郎さんを見つけました。
ちょっとカマっぽいポーズをねだりましたが、
中堅精鋭NO1ですよ。


そして第1部のとりが、市川団十郎丈の「都鳥」。

十数年振りの三味線だそうですが、とても鮮やかに弾いていらっしゃいました。
演奏するお姿もさすが、品があって、とてもきれいです。
ワキを弾いていらしゃるのが、会主の4世長十郎氏。
お唄は、今藤文子先生、郁子さん、杵屋秀子さんです。

第2部の開きは、
中村富十郎丈のお子様による「お月さま」。

三味線が中村鷹之資ちゃん。唄が愛子ちゃん。
富十郎丈の屋号は天王寺屋さんですので、
「若天王、姫天王!」と、大向こうがかかっていました。
本当に可愛らしい。

そして最後は、市川団十郎丈による舞踊「新曲浦島」と、
松本幸四郎丈による舞踊「藤船頌」で締めくくりました。
終演は9時でした。
コメント