西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

2-富士田吉治

2009-07-23 | 時系列的長唄の見方(c)y.saionji
富士田吉治―1


富士田吉治はもともとは江戸、乗物町伏見屋の色子
(歌舞伎の子役、若衆で、男色を売るのをもっぱらとする者)
で、千蔵といった。
伏見屋の主人が、都太夫和中という、一中節の名取りだったため、
千蔵は小さいときから、和中に一中節を鍛えられて育った。

18才の時(1731年)、
江戸に進出していた中村富十郎の育ての親、佐野川万菊の弟子となり、
佐野川千蔵を名乗った。
万菊は市村座でのお名残り狂言を終えると、富十郎と千蔵を連れて、京に上った。
千蔵は、それから4年後(1735年)に、京都都万太夫座で初舞台を踏んだ。
(この時の座本は、わずか17才の中村富十郎)。

その後、千蔵は江戸に戻り、24才で中村座の色子筆頭になった。
だが、大した役はつかず、喜ばれるのは一中節や豊後節を出語る時だけ。
どうも役者としての才能はないようだ、と本人が自覚し始めた頃だ。


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tea breaku・海中百景
photo by 和尚