西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

文化譜対応レコード

2011-11-30 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
文化譜対応レコード


そして今度は日本コロムビアから「三味線のお稽古」というタイトルで
「松の緑」が発売された(昭和8・1933年)。

これには稽古の手引き書と、文化譜、
勘所に張る譜尺までもがセットになっている。
まさにレコードによる通信教育だ。

もっとも杵家弥七の最初のレコードは、それより7年も前、
文化譜による長唄50番が発売された大正15年(1926)のことだ。

「松の緑」「鶴亀」「都鳥」「越後獅子」「岸の柳」「宵は待ち」の6曲が
文化譜対応レコードとして発売さた。

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高等女学校に三味線参入

2011-11-29 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
高等女学校に三味線参入


三味線女塾、ラジオ三味線講座は順調に進展し、
昭和7年(1932)には、ヨウの念願だった学校教育への
三味線編入が決まった。

新渡戸の働きもあってか、
全国の高等女学校で邦楽が随意科目として、
教育課程に取り入れられたのだ。

当然三味線のできる教師は少なく、ヨウの三味線女塾に期待が集まった。

ヨウは、「譜面の作成」「三味線学校の設立」「学校教育への三味線参入」、
この3つを人生の目標に掲げていた。
それのすべてが現実のものとなっただ。
この時ヨウ、43才。

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東京女塾

2011-11-28 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
東京女塾


東京での仕事が忙しくなったヨウは、
「三味線文化譜学会」が設立されると同時に東京に戻り、
学会と同じ赤坂区新町に「東京女塾」を開設した
(昭和6年・1931・4月1日)。

ここは威風堂々、木造3階の洋館建て。
授業内容も実技の他に、歌詞解釈・音楽史・楽典等から、
茶道・和歌・和裁・書法等の一般教養に至るまで、
まるで花嫁学校かと見まごうほど。

しかも、地方から来る塾生のために寄宿舎も完備したというのだから、
とても個人的なスケールとは思えない。

これには女塾の支援者でもある、山脇高等女学校の校長
山脇房子氏の助言が多分にあったのだろう。

「社会の基礎は家庭にあり、…されば健全なる社会、家庭を作らんと欲せば、
先ず女子を教育せざるべからず」
というのが山脇高等女学校の創立趣旨だ。

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三味線文化譜学会

2011-11-27 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
三味線文化譜学会


東京放送局での「家庭講座・三味線のお稽古」は毎週1回、
加えて、読売新聞社主催の「三味線講習会」が
銀座の社屋講堂で毎月開催されることになった。

これも盛況で、講習用の三味線が1日に100挺以上も売れたとか。

文化譜の売り上げも推して知るべしで、
もう杵家弥七出版部という、個人で発行できる状態ではなくなった。

そこで町田佳聲が代表社員、ヨウの夫の赤星国清らが社員となり、
合資会社「三味線文化譜学会」を東京赤坂区新町に設立。

文化譜出版は、一大事業へと飛躍をとげた。

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三味線ラジオ講座

2011-11-26 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
三味線ラジオ講座


大阪の「三味線女塾」開設から2年ほど経った昭和5年(1931)1月、
町田はまず、文化譜を使った三味線ラジオ講座の前段階として、
「家庭講座」と題する番組を作った。

ここでは三味線音楽についてや、稽古の仕方を解説する。
そして8月、いよいよヨウが講師となって
「家庭講座・三味線手ほどき」が始まった。
ラジオ講座用に手ほどきのテキストも発行。

翌年には「家庭講座・三味線のお稽古」が始まる。

ラジオから流れる講師の指導に従って、
文化譜を見ながら三味線を稽古する。

一人の講師で、不特定多数の人間を同時に教えることができるとは、
究極の効率のよさではないか。

ヨウが文化譜を完成させ、大阪での販売、三味線講習が軌道に乗った頃、
ラジオ放送が始まり、ヨウと深い関わりのある町田が
東京放送局の邦楽担当に着任した。
何という絶妙なタイミングだろう。

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