西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

長唄の歌詞を遊ぶ

2010-08-31 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
「長唄の歌詞を遊ぶ」、142篇で終了となりました。
150篇くらいまで、と思っていたのですがネタ切れです。

今度は何にしようかと、検討しています。

”長唄をいかに身じかに感じてもらうか”、ばかりを模索しておりますが、
なかなか図抜けたアイディアは出てきません。

さて、次は何が飛び出しますか、乞うご期待!

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tea breaku・海中百景
photo by 和尚

寒山拾得

2010-08-30 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
142ー「寒山拾得」(1907・明治40年)

寒山・拾得とは中国の伝説上の仙人。

天台山国清寺の禅師は山中で捨て子を拾い、
拾得と名付けて寺小僧として使っていた。
その頃、近くの寒巌という洞穴に、
寒山という乞食が住んでおり、国清寺に来ては
拾得から残飯を貰い、仲良く遊んでいた。
ある時、台州の国守がこの二人を見て、文殊・普賢菩薩の化身と悟り、
二人を崇めたという。

作詞は坪内逍遥。

『ここに寒巌に居して
 既に経たる幾何年
 棲遅して観自在なり
 時に歌曲を口ずさんで
 世の憂きふしは白雪の
 寂々たるたたずまい
 石を枕に芝草を
 いつも敷き寝のつれづれは
 古き仏の書を友』

●ここ、寒巌に住んでもう何年が経っただろうか。
 浮き世を離れた暮らしは自在気まま、
 時に歌を詠み、世渡りのつらさ悲しさとは無縁の住まい。
 石の枕に草のふとん、退屈な時には
 昔の聖の書いた書を読むのさ。


大隅半島、志布志市の大慈寺にある「寒山拾得」の軸絵。

桃太郎

2010-08-29 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
141ー「桃太郎」(1887・明治20年前後)

正式名は、「桃太郎宝の山入」という。
猿・雉子・犬を供に、鬼ヶ島へ鬼退治に行く桃太郎の話。


『勇み立ったる桃太郎
 鬼ヶ島へと攻め入って
 天狗礫に鬼共を
 投げのけ蹴のけ 忽ちに
 鬼人の王も降参し
 隠れ蓑笠 打ち出の小槌
 数の宝を家土に
 故郷へ帰る 顔見世や
 栄うる家こそ目出たけれ』

 

この可愛い絵は、武者幟。

虎狩

2010-08-28 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
140ー「虎狩」(1878・明治11年)


近松門左衛門作の『国性爺合戦』の二段目切、
「千里ヶ竹」を長唄に写したのが、この曲。
日本人の母と中国人の父の間に生まれた、
和唐内(わとうない・和でも唐でもないという洒落)
が、明国再興のために中国に渡り敵を倒す、という話。

虎狩りで唐人をこてんぱんにやっつけた和唐内は、
「子分にしてやるから名を日本風に改めろ」と迫る。

『名も日本に改めて
 何右衛門 何兵衛と
 めんめんが国処を頭字に名乗り
 二列に揃えてぼったてろ
 チャック忠左衛門 カボチャ衛門
 ルスン兵衛 トンキン兵衛
 ホルナン四郎 ホルナン五郎 
 スンキチ九郎 ジャガタラ兵衛
 サントメ八郎 イギリス平』

ここまでふざけ倒すと気持ちがいい。

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tea breaku・海中百景
photo by 和尚

松の翁

2010-08-27 | 長唄の歌詞を遊ぶ (c) y.saionji
139ー「松の翁」(1877・明治10年)


駿河の国富士駅に、本陣を張る松永家の豪邸があった。
本来、本陣は大名や旗本、勅使などをお泊めする家で、
一般の者には縁のない場所だった。
ところが、明治維新で参勤交代が無くなると、本陣としての機能は消滅した。
その後は一般の人にも開放したのだろうか、
富士を借景とする、松永家の見事な庭園は旅人の間でもつとに有名で、
見物に立ち寄る者も多かったとみえる。


『四季の眺めも時知らぬ
 雪は芙蓉の峰続き
 行き交う旅の人毎に
 聞き伝え来つ 名に愛でて
 見れば珍花に家路を忘れ
 筆も尽きせじ 庭の絶景』

●富士の山と峰続きの、このすばらしい庭には、
 四季折々に珍しい草花が咲き乱れる。
 行き交う旅人がみな絶賛するこの庭に来てみれば、
 あまりにも手入れの行き届いた、見事な絶景に思わず時を忘れてしまう。
 

西南戦争と新富座の工事で、仕事のできない杵屋正次郎(3世)は、
旅の途中、この屋敷に立ち寄った。
長唄好きの主に、一宿一飯のお礼にと作ったのがこの曲。

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tea breaku・海中百景
photo by 和尚