これは歌川国貞(3代目豊国・天明6~元治元・1786~1865年)の武者絵だ。
制作年は天保14〜弘化4(1843〜47)年で、タイトルは特にないが
三条小鍛冶と稲荷の精が描かれているので「小狐丸」とでもしておこうか。
書き入れを見てみよう。
「宗近(むねちか)は天延元(973)年 河内国産
一条院の御宇(ぎょう・在任)永延(987〜9)の頃上洛して 三条に住(じゅう)す
春日明神へ祈請をこめらるに 不思議や霊験有りて 天下無双の名剣(小狐丸)を鍛(きた)くて
その名を後世に挙(あ)ぐる也」
先行芸能の謡曲「小鍛冶」を長唄に移したものが、同名の「小鍛冶」(天保3・1832・杵屋勝五郎作曲)だ。
絵の書き入れによると、小鍛冶が参籠したのは春日明神となっているが、
ほかにも伏見稲荷や合槌稲荷などの説がある。
どうしてそう違って伝わるのだろうか。