散茶店が評判になるにつれ、揚屋で遊ぶ客は減っていく。
追い打ちをかけたのが奢侈禁止令で、
ついに大名・旗本の遊里遊びに禁制が出た(1693・元禄6年)。
こうなると自然淘汰で太夫・格子・揚屋が絶滅し(1758・宝暦8年)、
引手茶屋全盛の時代に突入する。
蔦重の時代には、吉原中之町の両サイドに百件以上の茶屋が立ち並んだ。
太夫・格子が消えたので散茶が最上級の遊女に繰り上がり、
呼出し・昼三(ちゅうさん)・付廻しの3ランクに細分化した。
もちろん付廻し以下も、最下級の局女郎まで細かくランクは分かれているが
(値段によって遊べる女郎が選べるという采配でもある)、
上位3ランクあたりを花魁(おいらん)といった。
「べらぼう」の花の井は大見世、松葉屋の売れっ子花魁という設定だ。
右が大門、真ん中の道が仲之町。
仲之町沿いに縦書きの文字で書かれているのが引手茶屋。
その下にある家紋付きの屋号が遊女屋だ。
花魁は店には出ず、禿や新蔵を連れて茶屋まで予約客を迎えに行く。
その行き帰りを道中という。
