西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

白金亭

2012-03-31 | プライベート
今日は夕方から寒くなりましたね。

私は雨の中、ご飯食べの約束がありましたので、白金台まで出かけました。

GUAMに一緒に行った友人のご招待で、慰労会のようなものです。
彼女のご主人がオーナーのお店で、
香港料理界の有名シェフ、周中氏がメニューの監修をしているという、
プラチナ通りにある白金亭というお店です。

3階が会員専用の個室になっていて、
ここで、ヌーベル・シノワーズのお料理をいただきました。

お料理も斬新で驚き!

これは、お肉料理。
トマトを器に、2種のカニ身と、ヒレ肉のソテーが添えてあるというなんとも面白いサプライズ!

お料理よりもびっくりしたのは、壁に掛けられている伊東深水の若かりし頃の習作の数々。
ここのオーナーは伊東深水の息子さんなのですから、あたりまえといえばあたりまえなのですが、
こんな本物に囲まれた部屋で食事をいただくという贅沢さに感激です。


                   絵のモデルは、オーナーの子供の時ですって!
                   




       

どれもすばらしいですね。


楠公―5

2012-03-30 | 泣けます、長唄
楠公―5

桜井の宿で馬を止めた楠正成は、11歳の嫡男正行(まさつら)にいう。

「如何に正行聞き候え 
 獅子は我が子を千尋の谷へ
 落として気合いを見るとかや

 まして汝は11歳
 父が教えを忘れなよ

 そも此の度の合戦は
 天下分け目の晴れ戦
 父は兵庫に討ち死にと
 心を決して候ぞ
 汝は是より故郷へ
 とくとく帰れと促せば」

正成は弟正季(まさすえ)ともども、
この合戦での討ち死にを覚悟している。
楠家存続、宮方報恩のためには、
嫡男正行を道ずれにするわけにはいかないのだ。

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tea break
photo by 和尚

 

2012-03-29 | プライベート
やっと春って感じになりましたね。

気温も上がり、待ちに待った庭仕事日よりになりました。

芝の雑草を抜いて、せっせとサッチング。
もう芝の新芽が出始めていて、下藁をかき出してやると、
芽が嬉しそうに、つんつん立ってくるのです。

裏庭の枝垂れ桜は、芽がこんなにふくらんで、
あと3、4日で開きそうです。
         

残念ながら桜を待たずに、東京に戻ります。
なかなかタイミングよく居られないのですよ。

楠公―4

2012-03-28 | 泣けます、長唄
楠公―4

新田義貞は足利尊氏軍にあえなく破れ、
尊氏兄弟は京に入った(1335年1月)。

しかし、京に攻め入った楠正成や義貞軍の反撃に破れ、尊氏は九州に敗走。
九州で兵を集めた尊氏は勢力を整えて、
4月3日、博多を出発。
そして5月25日、兵庫湊川で向かえ撃つ正成・義貞軍との合戦に臨む。

長唄「楠公」はここから始まる。

『頃は皐月の末つ方 
 楠判官正成は
 君の仰せを蒙りて
 一族郎党五百余騎
 今日を最後と九重の
 都を後に手束弓
 駒をばしばし桜井の
 宿に止めて』

● 時は5月の末頃、楠判官正成は帝の仰せを頂き、
一族郎党五百余騎を従え、禁裏のある都を発った。
愛馬をしばし桜井の宿に止めて。


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tea break
photo by 和尚

楠公―3

2012-03-27 | 泣けます、長唄
楠公―3


幕府の大軍が後醍醐の籠る笠置山を攻撃し、
後醍醐は捕えられて隠岐に流された(1332年)。

翌年1月、宮方が有利になるや、
後醍醐は密かに壱岐を抜け出した。

そして5月、ついに鎌倉幕府が終焉。
武士との連立はまっぴらの後醍醐は、
京に戻って公家だけによる新政を開始した。

しかし、新政への不満が武士の反乱を生む結果となり、
征東将軍に任じられた足利尊氏は、秘密裏に幕府再興を計画。

尊氏の動きに危険なものを感じた後醍醐は、
新田義貞に尊氏討伐の勅許を与えた。

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tea break・海中百景
photo by 和尚