西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

「秋の色種」-1

2011-06-30 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
「秋の色種」-1


南部利済が麻布不二見坂に下屋敷を建てたのは、
1845年(弘化2)のこと。
その新築披露の宴が12月に持たれた。

利済はこの時のために、下屋敷あたりの秋景色を詠み込んだ
「秋の色種」(あきのいろくさ)という詞を書いて、
杵屋六左衛門に作曲させた。
そして、宴の席で初披露となった。

本来長唄は、歌舞伎の音楽であり、
歌舞伎を離れた長唄は考えられなかった。

それが時代の要請から、お座敷での演奏曲というものが生まれた。
その最初の曲が、杵屋六三郎(4世)の「老松」(1820・文政3年)。
続いてが、同じく六三郎の「吾妻八景」(1829・文政12年)。
これには上調子が入り、客を驚かせたものだ。

そして次のお座敷長唄として残っているのが、「秋の色種」というわけだ。

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tea break・海中百景
photo by 和尚
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長唄協会下浚い

2011-06-29 | 仕事関係
今日は暑かったですね。

着物を着るのがうんざりの日でしたが、
下浚いなので仕方なく、着物を着て麹町の紫山会館まで出かけました。

朝のうちに出かけたのですが、すっごい暑さ!
参ったです。

われわれ今藤チームは「英執着獅子」です。

左から、杵屋秀子・今藤郁子氏・私、長由利。

お馴染みのメンバーですが、この馴染み感がいわゆる、信頼関係でして、
いい演奏をするためのとっても大切な要素なのです。


三味線の皆さん。
右から、今藤長鏡・政音・長貴世さん。


唄のコンビ二人。
右、政子、左、美知央さん。
    

本番は7月5日、国立小劇場です。
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南部利済

2011-06-28 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
南部利済

10代目杵屋六左衛門のパトロンは、
盛岡藩主、13代の南部利済(としさだ)。

利済は18才で出家、6年後還俗し、29才(1825・文政8年)
で藩主となった。

しかし、横暴で贅沢三昧、好色とあって、
大規模事業や遊郭の建設など、したい放題。
当然藩の財政は底をつく。

利済は、凶作で飯もままならない藩民へ、情け無用の重税課税。
怒った農民は、“窮鼠猫を噛む”の一揆を起こす。

1836年(天保7)南方一揆が起き、
1847年(弘化4)の三閉伊一揆(さんへいいっき)勃発で、
利済は隠居謹慎の身となる。

利済が六左衛門のパトロンとなったのは、
何とそんな頃なのだ。

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tea break・海中百景
photo by 和尚
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受領

2011-06-27 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
受領


10代目杵屋六左衛門は、長唄史上初ともいえる
殿様のパトロンを持ったことでも有名。

そもそも長唄というものは、歌舞伎音楽で、庶民のものだから
パトロンといっても、せいぜいが金持ちか、文人が関の山。

それに比べて、
浄瑠璃の太夫(語り)には、昔から受領(ずりょう)という
システムがあり、名ばかりだが国名を冠することを許される。

なぜ浄瑠璃の三味線弾きが対象外かといえば、
浄瑠璃は平家琵琶以前からある、わが国独自の語り芸だからだ。

三味線は外来種だし、市民権を得るようになったのは、ほんの江戸初期。
そもそもの歴史が違う。

受領のランクは、
守(かみ)・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)の4等官。
例えば、豊後掾・豊前掾・筑前掾など。

歌舞伎の創始者出雲のおくにの受領名は、“天下一対馬守”だ。

昭和30年に始まる重要無形文化財保持者、
いわゆる人間国宝の認定は、受領の進化形といってよいだろう。

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tea break・海中百景
photo by 和尚
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お浚い会

2011-06-26 | プライベート


今日は、私の稽古場の小さなお浚いでした。

ささやかな会でも、お弟子さんたちにとっては緊張の場。
それが次のステップアップにつながるのですよ。

今回は杵屋秀子氏にお唄をお願いしました。
    


終演後、馴染みの寿司屋でお食事。
仕事の後には、たいていこのような楽しみが待っています。
秀子氏の素敵なショットです。
    


この店の大将は、みかけによらず頑固一徹で、
おいしいネタしか仕入れません。
                



“これから飲みますモード”全開の二人です。
    
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