西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

岩倉具視

2011-07-31 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
岩倉具視


杵屋勝三郎(2世)は、吾妻能狂言に専念するため、
市村座を親友の正次郎(3世)にまかせて、芝居を引退した。
明治2年(1869)、勝三郎50才の時だ。
人生後半を吾妻能狂言に懸けたのだ。

それから数年後、
明治新政府の米欧使節団が、2年の視察を終えて帰国(1873・明治6年)した。

団長の岩倉具視は、燕尾服・フロックコートを着て観劇できる、
西欧のオペラのような格式の高い芸能の必然性を感じ、能楽に着目した。

能楽はその意味で、もともと幕府の式楽だったのだから
格式の高さからいえば、オペラに勝るとも劣らない。

パトロンを失い失意のどん底に落ちていた、能楽師たちに
希望の光が差し始めた。


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tea break・海中百景
photo by 和尚
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京都浴衣会

2011-07-30 | 仕事関係
今日は家元の京都浴衣会が、岡崎の六盛さんでありました。

京都は番数が多くて、朝の10時45分から、
夕方の6時までたっぷり。

お馴染み宮川町の芸妓、舞妓、お姉さんたちが出演しますので、
会場はいやがうえにも華やぎます。

       
    なんて素敵なんでしょう!

                 


これからお座敷のかかっている、富久君ちゃん。
団扇のかんざしがかわいい!         
      

終演後の宴会。六盛さんの、108畳敷き大広間で。
ふく帆ちゃんです。まだ19才!
                      

なにしろ、宮川町には舞妓ちゃんがわんさかいます。
しかも舞妓志願の子があとを絶たないとか。
よほど魅力があるのでしょうね、この花街は。
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携帯さまさま

2011-07-29 | プライベート
今日は浴衣会の下浚いです。

10時半から京都、宮川町の歌舞練場で。

8時2分の瀬戸大橋線、マリンライナーに乗れば
岡山9時14分発の新幹線で京都に10時14分着。
そこからタクシーで10分。

会場には10時半ピッタリに着く!
予定だったのですが、
坂出駅に着いていざ改札へ、という時になって
肝心の浴衣を入れたバッグを忘れたことに気づきました。

慌てて電話をして、家の者に届けてもらったのですが、
「気車は出てゆく、煙は残る」。

で、次のマリンで出直しです。

30分の待ち時間のあいだに、携帯でエクスプレス予約にアクセス。
新幹線の予約を変更し、家元に事情をメール。
一便遅れで到着しました。

今はなんでも携帯でできるのですから、便利ですよね。


ちょっとこわもてのこの方は、大坂の三味線屋「梅屋」のおやじです。
茶髪で、一見ロッカー。
           
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薮蚊

2011-07-28 | プライベート
毎日暑いですね。

坂出での夏は、芝の水やりが大仕事です。
長袖、ズボンにソックスをはいて
虫除けスプレーをかけて始めるのですが、
夕方のこととて、薮蚊がものすごいのです。

テキもさるもので、完全防備の欠けている部分、
「顔」を狙ってくるのです。

薮蚊を払いながら、かわいい芝クンのために
1時間ほど、水をやるのですが、
終わってシャワーを浴びると、どっかしら刺されています。

恐るべし、薮蚊!


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吾妻能狂言

2011-07-27 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
吾妻能狂言


謡曲の長唄化の最たるものは、「足達ヶ原」「船弁慶」
(1870・明治3年)だろう。

これは杵屋勝三郎(2世)が、能のために一肌ぬいだ曲で、
長唄と囃子、地謡と能楽師の共演という、珍しい形態だ。

そもそもは宝生流の能楽師日吉吉左衛門が、
仕事をなくした能楽師のために、勝三郎に相談して実現したもの。

一般庶民の芸能、歌舞伎長唄と、
武士階級の能楽が、同じ舞台に乗るなどという事は
天地開闢以来、あり得ないことだった。
それが明治維新という、混乱の中で現実のものとなった。

杵屋勝三郎は馬喰町に住まいがあり、その技の凄さから
“馬場の鬼勝”の異名を持つ。

勝三郎の才能と男気、吉左衛門の義侠心が出会った結果の
この“珍事” は、「吾妻能狂言」と銘打たれ、
吉左衛門の自宅、蔵前の能舞台で興行され,
結構な評判を取った。


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tea break・海中百景
photo by 和尚




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