ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

kindleで本が発売に!「私と言う名の女~遠い記憶~」

2019年05月07日 | 介護
2019.5.7
私が長年夢だった本がアマゾンのkindleで発売になりました。
タイトルは「私と言う名の女~遠い記憶~」です。
1冊300円です。
興味のある方はぜひお買い求めください。
パソコン、タブレット、スマホ、iPhoneで見れます。
内容は一人の女性の生きざまの一片を切り取ったものです。
どこから読んでもいいように書いています。
kindleの審査を通って今、発売になりました。
300円ならほぼ珈琲1杯の値段です。
よろしくお願いします。
下記の写真がkindleの表紙です。
下手な絵は自分で書きました。

今にも降りそうな天気の下

2019年05月07日 | 介護
2019.5.7
今にも降りそうな天気です。
テレビでは芸能人の追っかけにお金を使ったと言うおばちゃんが!
私はそんなにお金は使えないので、毎月行く木馬亭の木戸銭が2000円であることはありがたいと思う。
本格的に年金暮らしになったらお金はそんなに使えないと思うので!
3000万円も純烈にお金をつぎ込んだと言うおばちゃんだった。
今まで私は芸能人の追っかけにそんなに大金を使った覚えはないに等しい。
なぜなら母の目があるからだ。
子供の頃から母の目があったのだ。
私のようなものは季節の変わり目は要注意なのだ。
この時季にストレスをためるのは良くないと思う。
私は他人と争うのは嫌いだ。
したがって出来るなら事は穏便に運ぶとを願いたいと思う。
このブログには適当なことを適当に書いている。
そうそう!着物についてですが、少しづつわかってきたような気がします。
自分では全く着れないのに…。
中古の着物や吊るしの着物は嫌だと思う。
そもそも他人の着た着物は嫌なのだ。
結婚式の貸衣装だけで十分だと思う。
化繊の着物をレンタルで着ている人を浅草ではよく見かける。
ミシンで縫ったペラペラの化繊の着物は好きではない。
自分で着ものを着れないくせに、その昔3か月だけ着付け教室に通ったので文句だけは言えるのだ。
毎月のように木馬亭で着物の浪曲師を見ているがあえてここでいろいろ言うのはやめておこうと思う。
そんなに他人のことを言えるような私ではないのだ。

パソコンの表示が?

2019年05月07日 | 介護
2019.5.7
このところパソコンのバーの表示がおかしい。
FacebookなのにTwitterの横にFacebookのマークが付く。
なぜそうなるのかわからない。
もういいやとあきらめている。
ましてやFacebookの表示もおかしかった。
まあ、いいやと思うことにした。
Facebookはやたらと友達が増えた。
友達になるのはいいが。相手の基本データーをきちんと確認して承認すれば良かったと思う。
私を含めおかしな投稿をする人が多い。
グループに誘われたり入れられたりするが、今のところ誘われて入っても出来ることがないに等しい。
もう、Facebookで183人も友達が出来ると毎日が誰かの誕生日でメッセージを送らなければならないので困るのだ。
友達を整理したいがどうしたものかとも思う。
リアル友達でない人がほとんどだ。
芸能人の類はリアル友達ではないのだ。
相手の投稿にもやたらと「いいね!」は出来ないと思う。
それでも暗黙で「いいね!」を求めているような投稿もある。
体調はこのところ気温に変化に付いてゆけないでいる。
服を1枚着るか1枚脱ぐかで…。
同居の母は私が暑くても3~4枚は着ている。
自宅ではやることが山ほどあるのに放棄している。
どうも時間の使い方が下手なようです。
10連休も終わり普通の生活に戻そうと思うのですが、すぐには無理なようです。
睡眠不足ゆえ少々眠いです。
本日は4時からパソコン教室に行きます。
なかなか進まぬkindleの本作業です。
きちんと作って応募して審査を通れば電子書籍になって発売されます。
その時はSNSでお知らせしますので、よろしくお願いします。

終活を考える。

2019年05月07日 | 介護
そろそろ終活を考えようと思う。
実は前々から葬式の仕方を考えている。
あの祭壇は要らないと思う。
祭壇はレンタルなのだ。
そのレンタルの祭壇が高いのだ。
そんな高い祭壇は要らないと思う。
今は好きなように出来るので、祭壇はやめてしまいたい!
以前親戚のおばさんの葬式で祭壇がお花だったことがあった。
それはそれで良かったと思う。
しかし、私はあの菊の花が好きではない。
したがって菊以外の花がいいと思う。
別のおばさんの葬式はおばさんの家が新興宗教の信者だったので、親戚が供えた花以外はシキビであったような気がする。
私は祭壇がお花と言うのがいいと思う。
菊の花でなければ何でもいいと思う。
それなりに坊さんは呼ぶのだ。
主人の実家が檀家の曹洞宗の坊さんを呼ぼうと思う。
お経は良くわからないので、適当でいいと思う。
ただ、お清めの席で好きな音楽はさりげなくかけたいと思う。
どうせお清めの席は個人を忍ぶことは無いのだ。
それぞれに世間話をするのだ。
ましてや私はそのときは死んでいるのだから、どのように誰が葬儀をするのかもわからない。
希望通りの葬式などはしてくれないかも知れない。
ましてや参列者のほとんどは義理で来るのだ。
義理で参列してお清めの席は世間話をするのだ。
個人はさしてしのばないなだ。
せめても私はお清めの席は私の好きな物をさりげなくかけたいと思う。
世間話をし、さんざん飲み食いされるのだ。
出来れば坊さんのお経は手短でいい。
死んだ私にはお経はわからないのだ。
お清めの席はさっさと終わって欲しいのだ。
お墓は子供がいないので墓守はいないことになるので、樹木葬などを希望したい!
永代供養などでも構わないと思う。
お坊さんの話で思い出したが、お坊さんはお経を途中でやめても料金は変わりません。さて、みなさんは終活を考えていますか?
遺産相続の問題ですが、遺産は無いに等しいので!