雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

思春期

2008年08月22日 | 「発達障碍」を見つめる眼
この春から夏にかけて、思春期の少年少女の犯罪が相次いでいます。

これまでも少年少女による驚くような犯罪には
心痛む思いはもちろんあったのですが
息子が思春期と呼ばれる時期になってみると、
わが子と同じ年代の子どもがそういった事件を起こしたことに
受けるショックは、これまでとは程度が違っていました。
わが身に繋がる要素があるだけで、物事の感じ方はこんなにも
変わるものなのだなあ、と改めて感じます。

どこかの新聞の調査で、思春期の子どもを持つ親に
アンケートをとったら、約3割の人が「自分の子どもも
いつ同じようなことをやるかわからない」と答えた、という話や
バスジャックの事件のあとは、「次は自分の子どもが事件を起こすのでは
ないかという不安」で心身の不調を訴える親が相次いだ、という
新聞記事を読んでいると、
「うちの子に限って」というのは過去の話になってしまったのかなあ、と
いう感じがします。

この間、「光とともに」の最近の数刊を図書館で借りて読んだのですが
中学生になった光くんの周囲には相変わらずトラブル連続で
「これを読んだら『やっぱり思春期は問題続発なんだ、大変だ』と
 不安になるお母さん、多いだろうなあ」
と思いました。

私も、息子が小さい頃は、「思春期」という言葉が
なんだかとても恐ろしいもののように思えていました。
「自閉症児の思春期に対する対応」なんていうテーマの
講演会があったら飛んで行こうという感じでしたし、
息子が6年生になる春には、「思春期になって荒れたときに備えて
落ち着いている状態を見ておいてもらいたい」と
自閉症の診断がついて以来始めて児童精神科の専門医を受診したほどです。

それで、いざ自分の子が思春期を迎えてどうだったかというと、
「大変」とか「もう小さな私の○○ちゃんではない」というより
佐々木正美先生があちこちでよくおっしゃっている
「自閉だから特別(にハード)な思春期が来るわけではない」
「思春期は人生の通過点」
「思春期だからというより自閉症の特性にどこまで丁寧に対応してきたか、
 対応しているか、の問題」
という言葉が、改めてとてもしっくりくる感じがしています。

もちろん、従順なうちの息子にも多少の反抗期はあるし、
体が大きくなった分、もはや「可愛い」ではすまされないこともあれば
性的な問題もないわけではありません。
「心身ともにかなり幼いお子さんなので、思春期はやや遅めかもしれない。
 中3くらいになってやっとそういう感じになるかもしれませんよ」と
児童精神科医の先生からも言われていますから、まだこれから
どうなるのかはわかりません。

ただ、思春期になって「突然」子どもが荒れた、という話をたくさん聞くうちに
それは「思春期」が悪いのではなく、
例えば親が良かれと思ってしてきたことが子ども本人にとっては
負担であったり、とても辛いことであったりしたことに
子ども自身が気が付いて「NO」のサインを出し始めた、と
いうことも少なくないのではないか、という気がしてきました。

自分自身の思春期を振り返っても、確かに精神的にも不安定だったり
思考が極端だったりしたことは否めませんし
本人としてはそれなりに真剣に悩んだり、揺れ動いたりして、
自分で思うほど大人でもなく、周りが思うほど子どもでもない
微妙な時期だったなとは思うのですが

その時期はやはり多少なりともその前の子ども時代と
その後の人生とも繋がっています。決して思春期だけが
独立して別物だったわけではないですし、その時期抜きで
今の私があったかと言えば、やはり答えは否でしょう。

そう考えるとやはり思春期もそれ以外のときも、私にできるのは
目の前の息子をできるだけ掛け値のない目で見つめて
彼がどう感じているのか
彼が何を伝えようとしているのか
彼がどういう「俺ルール」で世の中を理解していて
そのどこに、どういう形での修正を加えることが
彼が世の中で円満にやっていくために必要なのか

常に探りながら、ひとつひとつ丁寧に関わっていくことしか
ないのだろうと思っています。



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