息子の使う表現の幅は、なぜかいつも長期休暇明けに
ぐっと伸びるような気がします。
家での生活でのびのびとする分、そうなるのか、
しばらくぶりに触れる学校での刺激が新鮮でそうなるのか、
その辺はわからないのですが、
長期の休みの後には、必ずと言っていいほど、連絡帳に
「また一段と言葉が増えましたね」と書かれてきます。
今は普段の生活での意志伝達は音声言語だけですから、
小学校に入学するときには自発言語はほとんど1語文だけで
その日に学校でしゃべった言葉を連絡帳に書ききれるほど
限られていた、という話をすると
今の担任のK先生には
「なんか想像つかないですよね~」と言われてしまいます。
あの当時は母親の私ですら、いつか息子と会話が出来る日が来るなんて
思っていなかったのですから、まあ当然と言えば当然なのですが。
さて、3学期になり、息子のクラスでも班変えがありました。
息子の通うF中学では、クラスを班分けしていて、普段の生活でも、
行事のときも、校外に出るときも、全て班行動が基本になっています。
1学期には2泊3日の転地学習で、
2学期には様々な行事を通じて、息子は班の仲間に随分いろいろと
助けてもらい、2学期末の個人懇談では
「班のメンバー、特に女子は『自分を助けてくれる人』と感じて
いるみたいで、随分頼りにしているようです。
女子のほうでも、『ちびくまくんってかわいい』『ちびくまくんは
やさしい。また同じ班になりたい』って言ってるんですよ」
と交流級の先生から聞かされて、ほっこりしていたのですが
また新しくなったメンバーとはうまくやっていけてるのか、
ちょっと心配ではありました。
それで、今日、帰宅後PCで遊んでいる息子に、なんとなく
「ねえ、ちびくまくん、新しい班はどう?」と訊いてみました。
こんな抽象的な質問をしても、たぶん「わからない」
「しらない」という答が返ってくるのもわかってはいたのですが。
ところが、息子はPCのモニターを見つめたまま、何でもないように
「うん、みんなやさしくしてくれるよ」と答えたので
私の方がびっくり。
「やさしくしてくれる」の意味を彼が本当にわかって使っているのか
どうかは定かではありませんが
少なくとも新しい班も彼にとっては居心地の悪いところでは
ないらしいことが感じられてほっとしたのでした。
ぐっと伸びるような気がします。
家での生活でのびのびとする分、そうなるのか、
しばらくぶりに触れる学校での刺激が新鮮でそうなるのか、
その辺はわからないのですが、
長期の休みの後には、必ずと言っていいほど、連絡帳に
「また一段と言葉が増えましたね」と書かれてきます。
今は普段の生活での意志伝達は音声言語だけですから、
小学校に入学するときには自発言語はほとんど1語文だけで
その日に学校でしゃべった言葉を連絡帳に書ききれるほど
限られていた、という話をすると
今の担任のK先生には
「なんか想像つかないですよね~」と言われてしまいます。
あの当時は母親の私ですら、いつか息子と会話が出来る日が来るなんて
思っていなかったのですから、まあ当然と言えば当然なのですが。
さて、3学期になり、息子のクラスでも班変えがありました。
息子の通うF中学では、クラスを班分けしていて、普段の生活でも、
行事のときも、校外に出るときも、全て班行動が基本になっています。
1学期には2泊3日の転地学習で、
2学期には様々な行事を通じて、息子は班の仲間に随分いろいろと
助けてもらい、2学期末の個人懇談では
「班のメンバー、特に女子は『自分を助けてくれる人』と感じて
いるみたいで、随分頼りにしているようです。
女子のほうでも、『ちびくまくんってかわいい』『ちびくまくんは
やさしい。また同じ班になりたい』って言ってるんですよ」
と交流級の先生から聞かされて、ほっこりしていたのですが
また新しくなったメンバーとはうまくやっていけてるのか、
ちょっと心配ではありました。
それで、今日、帰宅後PCで遊んでいる息子に、なんとなく
「ねえ、ちびくまくん、新しい班はどう?」と訊いてみました。
こんな抽象的な質問をしても、たぶん「わからない」
「しらない」という答が返ってくるのもわかってはいたのですが。
ところが、息子はPCのモニターを見つめたまま、何でもないように
「うん、みんなやさしくしてくれるよ」と答えたので
私の方がびっくり。
「やさしくしてくれる」の意味を彼が本当にわかって使っているのか
どうかは定かではありませんが
少なくとも新しい班も彼にとっては居心地の悪いところでは
ないらしいことが感じられてほっとしたのでした。