祖母が亡くなったばかりだというのに、
例年通りにお正月を祝おう、と考えたのは、
変化を嫌う息子のためだけ、というよりは
「おばあちゃんが亡くなったのに、とてもそんな気にはなれない」
とは感じていなかったからじゃないかと思います。
私自身がもともと情の薄いタイプなのかもしれないけれど、
99歳という年齢で病院に入院することもなく、
普段どおりの朝、ほとんど苦しむこともなく逝った、という
その人生の終わり方はどこか「清々しい」ような気がしたのです。
最後に対面した棺の中の祖母は、白い着物に赤の袴を身につけて
(神様のもとへ行くので、巫女さんと同じなんでしょうかね)
化粧も要らないくらいつやつやのきれいな肌をして
安らかに眠っている可愛い小さなおばあちゃんでした。
もちろん、全く突然のことだったので驚きはしたけれど、
不思議に悲しくも辛くもありませんでした。
「向こうでも元気にやってね」というような、旅立つ人を
送り出すような感じ。もう会えないんだな、と思うと寂しいけれど
残された私たちが悲しみ続けているよりは、ニコニコ笑って
暮らしていれば、それが何より祖母への供養ではないか、と
思えました。
でも、そんな私にも「お正月を祝う気になどなれない」と思ったことは
あるのです。
1999年のお正月、息子が自閉症の診断を受けた直後のことでした。
このときは、年賀状をわざわざアメリカまで送ってくれた人たちの
心遣いが却って無神経に思えたし、毎日毎日泣いてばかりいました。
なんだか「すべてが壊れてしまった」ような気がしていました。
もう2度と幸せなんて感じられない、もう2度と笑うことなんてない、
そう思っていました。
喪中というならば、あの時のほうがふさわしかったかもしれません。
自分の手の中に変わらずいる息子を受け入れるために、
私は自分の頭の中にいた一人の子ども像とそこにつめこんだ
様々な思い全てを弔わなければならなかったのでした。
喪の期間、というのは、大切な人やものを失った喪失感や
悲しみと存分に向き合って、再び立ち上がるために
必要な時間なのかもしれません。
だとすれば、それは人によって1週間だったり、数十年にも
わたったりすることもあるでしょう。
今年も心から「おめでとう」と言えない気持ちで新年を迎えた方が
沢山いらっしゃることでしょう。
どうぞ存分に大切なものを悼む時間をおとりください。
そしてまた、あなたがたに暖かな陽があたるよう、
あなたがたに微笑が戻る日が一日も早くくるよう、
遠くからお祈りしています。
例年通りにお正月を祝おう、と考えたのは、
変化を嫌う息子のためだけ、というよりは
「おばあちゃんが亡くなったのに、とてもそんな気にはなれない」
とは感じていなかったからじゃないかと思います。
私自身がもともと情の薄いタイプなのかもしれないけれど、
99歳という年齢で病院に入院することもなく、
普段どおりの朝、ほとんど苦しむこともなく逝った、という
その人生の終わり方はどこか「清々しい」ような気がしたのです。
最後に対面した棺の中の祖母は、白い着物に赤の袴を身につけて
(神様のもとへ行くので、巫女さんと同じなんでしょうかね)
化粧も要らないくらいつやつやのきれいな肌をして
安らかに眠っている可愛い小さなおばあちゃんでした。
もちろん、全く突然のことだったので驚きはしたけれど、
不思議に悲しくも辛くもありませんでした。
「向こうでも元気にやってね」というような、旅立つ人を
送り出すような感じ。もう会えないんだな、と思うと寂しいけれど
残された私たちが悲しみ続けているよりは、ニコニコ笑って
暮らしていれば、それが何より祖母への供養ではないか、と
思えました。
でも、そんな私にも「お正月を祝う気になどなれない」と思ったことは
あるのです。
1999年のお正月、息子が自閉症の診断を受けた直後のことでした。
このときは、年賀状をわざわざアメリカまで送ってくれた人たちの
心遣いが却って無神経に思えたし、毎日毎日泣いてばかりいました。
なんだか「すべてが壊れてしまった」ような気がしていました。
もう2度と幸せなんて感じられない、もう2度と笑うことなんてない、
そう思っていました。
喪中というならば、あの時のほうがふさわしかったかもしれません。
自分の手の中に変わらずいる息子を受け入れるために、
私は自分の頭の中にいた一人の子ども像とそこにつめこんだ
様々な思い全てを弔わなければならなかったのでした。
喪の期間、というのは、大切な人やものを失った喪失感や
悲しみと存分に向き合って、再び立ち上がるために
必要な時間なのかもしれません。
だとすれば、それは人によって1週間だったり、数十年にも
わたったりすることもあるでしょう。
今年も心から「おめでとう」と言えない気持ちで新年を迎えた方が
沢山いらっしゃることでしょう。
どうぞ存分に大切なものを悼む時間をおとりください。
そしてまた、あなたがたに暖かな陽があたるよう、
あなたがたに微笑が戻る日が一日も早くくるよう、
遠くからお祈りしています。