夕方、気がつくとまた部屋の隅で静かに泣いていたちびくま。
声をかけずにいたのですが、ふと顔を上げたときに目が合うと、
あわてて顔をごしごし拭いていたので、にっこり笑いかけただけで
その場を離れ、私は夕食作りにかかりました。
しばらくして、キッチンに立つ私の横へ来たちびくま。
「これなに?」と切った野菜を取り上げてしげしげと見たり、
「おてつだいしてあげる」と必要な調味料を出してくれたり
していたかと思うと、ぽつりとこうつぶやきました。
「きょうね、ちびくまくん、ずこうががんばれなかったの」
今日の連絡帳には
「図工は空想の絵の第2弾、『宇宙に行った○組』という題で
描きました。前回の絵がもう仕上がっているのでもう1枚
描いてもらったのですが、なかなかいい感じなので教室に
貼りました。いつもクラスの輪(和)を大切にするちびくまくん
らしい作品です。」
とありました。つまり、客観的にはむしろなかなか頑張った
時間だったようなのです。
「そっか~。頑張れなかったの。どうして頑張れなかったんだろね」
「えっとね。ちびくまくんは、ちょっとひっくりかえっちゃったから」
・・・なんかわかったような、わからないような。
「こんどがんばったらいい?おかあさん」
「そうだね、今度頑張ったらいいよ」
「じゃあ、『ちびくまくん、今度は頑張ってね』って言わないと」
「ちびくまくん、今度は頑張ってね」
「はい。がんばります」
先日も給食当番のとき、ご飯の入れ物をひっくり返してしまった、と
(でも幸い、ご飯は無事でした)とても気にしていたちびくま。
今日の「ひっくりかえっちゃった」も
本当に物理的に転んだとか物を落としたことを気にしているのか、
それとも先生がわざわざ私に伝えるほどではない、と判断するような、
ちょっとした不適切行動をしてしまったのか、
はたまた『絵を描くのが苦手』な自分のことをそう表現したのか、
そのへんはよくわかりません。
高学年になって、ますます周りの定型発達の子どもたちとの差が
はっきりしてきた息子。交流級の子どもたちは、そんな彼を
「そういう仲間」として、べたべたちやほやするわけではないけれど
さりげなくカバーし、励まし、褒めてくれる絶妙のサポーターたちです。
そんな恵まれた環境の中でも、やはり「みんなのようにできない自分」を
悲しく思う気持ちはあるのだなあ、となんだか切なくなってしまいました。
「みんなと同じようにしたい」「そのために頑張る」
彼が誰に強制されたわけでもなく抱き始めたこの気持ちは、
彼の成長、特に集団適応力の顕著な伸びの大きな原動力に
なっていることは間違いありません。
でも、私としては、彼に「今のままの自分も好き」で
いてほしいのです。
これからは「できる喜び」を育てるだけでなく、
「できない自分」とうまく付き合う方法も合わせて考えて
いかないといけないなあ、と気持ちを新たにしたのでした。
声をかけずにいたのですが、ふと顔を上げたときに目が合うと、
あわてて顔をごしごし拭いていたので、にっこり笑いかけただけで
その場を離れ、私は夕食作りにかかりました。
しばらくして、キッチンに立つ私の横へ来たちびくま。
「これなに?」と切った野菜を取り上げてしげしげと見たり、
「おてつだいしてあげる」と必要な調味料を出してくれたり
していたかと思うと、ぽつりとこうつぶやきました。
「きょうね、ちびくまくん、ずこうががんばれなかったの」
今日の連絡帳には
「図工は空想の絵の第2弾、『宇宙に行った○組』という題で
描きました。前回の絵がもう仕上がっているのでもう1枚
描いてもらったのですが、なかなかいい感じなので教室に
貼りました。いつもクラスの輪(和)を大切にするちびくまくん
らしい作品です。」
とありました。つまり、客観的にはむしろなかなか頑張った
時間だったようなのです。
「そっか~。頑張れなかったの。どうして頑張れなかったんだろね」
「えっとね。ちびくまくんは、ちょっとひっくりかえっちゃったから」
・・・なんかわかったような、わからないような。
「こんどがんばったらいい?おかあさん」
「そうだね、今度頑張ったらいいよ」
「じゃあ、『ちびくまくん、今度は頑張ってね』って言わないと」
「ちびくまくん、今度は頑張ってね」
「はい。がんばります」
先日も給食当番のとき、ご飯の入れ物をひっくり返してしまった、と
(でも幸い、ご飯は無事でした)とても気にしていたちびくま。
今日の「ひっくりかえっちゃった」も
本当に物理的に転んだとか物を落としたことを気にしているのか、
それとも先生がわざわざ私に伝えるほどではない、と判断するような、
ちょっとした不適切行動をしてしまったのか、
はたまた『絵を描くのが苦手』な自分のことをそう表現したのか、
そのへんはよくわかりません。
高学年になって、ますます周りの定型発達の子どもたちとの差が
はっきりしてきた息子。交流級の子どもたちは、そんな彼を
「そういう仲間」として、べたべたちやほやするわけではないけれど
さりげなくカバーし、励まし、褒めてくれる絶妙のサポーターたちです。
そんな恵まれた環境の中でも、やはり「みんなのようにできない自分」を
悲しく思う気持ちはあるのだなあ、となんだか切なくなってしまいました。
「みんなと同じようにしたい」「そのために頑張る」
彼が誰に強制されたわけでもなく抱き始めたこの気持ちは、
彼の成長、特に集団適応力の顕著な伸びの大きな原動力に
なっていることは間違いありません。
でも、私としては、彼に「今のままの自分も好き」で
いてほしいのです。
これからは「できる喜び」を育てるだけでなく、
「できない自分」とうまく付き合う方法も合わせて考えて
いかないといけないなあ、と気持ちを新たにしたのでした。
それからもう数ヶ月が経ちます。
ちびくまファミリーから「雲のむこうはいつも青空」へやって来ても
ずっと、読み逃げしていました。
優しく見守っているお母様の姿
暖かな家族のもと
ゆったりとした気持ちで育つちびくま君の姿が、いつもいつも目に浮かぶ様です。
「できない自分と付き合う」
このブログを読んだ時
それは、「ちびくま君」への言葉では無く
全ての人に必要な事だと思います。
何もかも完璧に出来る人なんて
何万人 いや 何億人に一人だと思います。
できない事や苦手な事
どんな人にもあると思うんです。
私なんか・・・
苦手な事から逃げ出そうとしていたりするけれど
ちびくま君の静かに涙を流しながらも
次の一歩を歩む為に、自分なりに頑張って
ご両親や先生・友達に温かく見守られている姿を想像すると
負けてられないな! と、思います。
気の利いた言葉が見つからず ごめんなさい。
だけど、「できない自分と付き合う」という言葉が
私自身に言い聞かせたい言葉となっています。