気まぐれ日記帳

思いつくまま・・・

令和2年もおしまい

2020年12月29日 | 生活
昨日で仕事おさめとなりました。

コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言が出てからは、仕事も生活も様変わりしました。
宮仕えの私は7月までは土日も自宅待機。
11時、4時といったPCR検査の結果が出るタイミングで幹部職員の呼び出しがかかることもしばしばあり、気が抜けない毎日でした。
体制も整うにつれて、間接的に関わる私にまで招集がかかることはなくなり、10月以降は週末は息が抜けるようになりました。

11月に福井に蟹を食べに出かけたぐらいで、それも平日に休みを取り、お店にも気を付けて、車でとんぼ返り。
掃除、片付け、庭仕事や散歩では間が持たないので、宇宙家族ロビンソン、スタートレック、スパイ大作戦などのDVDボックスを見まくったり。
自宅と会社の車による往復の毎日で友人に会うこともない生活ですが、次第に慣れてきて楽器を弾く気にもなってきました。
不思議なもので家にいると、電化製品がボロボロと壊れていきます。
MDに続いてCDトレイが壊れたステレオ、SDスロットに続いて書き込みができなくなったパソコン、録音時間が減ってきたPCMレコーダーを買い換えました。
書斎のテレビにも録画機能が欲しくなったのでハードディスクを接続できるテレビ、色がちらつきだしたパソコンモニターを買い換え、快適に過ごすためオイルヒーターや加湿器も買いました。
職場関係の飲み会や旅行などがなくなり、それで買えてしまいました。
今までどれだけお金を使っていたのでしょう

こんなご時世ですが、親父所有の空き店舗にテイクアウトの店が入ってくれました。
父親の収入だけでは介護費用、保険料や税金とギリギリの状況で、支払いが重なる月は足していました。
これで少しは蓄えることができそうです。

弱毒化、ワクチンまたは治療薬の普及が現状打破のきっかけとなり、海外ではワクチン接種も始まりましたが、国内では早くて3月からのようです。
そこまでは少しでも楽しくすごさないといけませんね。

施設にいる父親とは面会できずで、職員の方に様子を聞くぐらい。
白内障が進んできたとの連絡があり、11月に総合病院に連れていきましたが、ゆっくり話したのはその時ぐらいです。
まだ私のことを覚えていてくれたのは救いでした。

認知症が出てきたころに、白内障の診察に連れて行こうと何度も試みたのですが、拒絶されていました。
今回、医師からは診察ができたことから、30分以上かかるもののダメ元で手術してみますかと言われました。
病院でも静止は5分ももたず、すぐトイレ、トイレと落ち着きがなくなったり、マスクをはずしてしゃべりだしたりで付き添う私たち夫婦もぐったり。
局所麻酔ではとてもじゃないが無理と思いました。
全身麻酔はリスクもありますし、腎臓がんの手術で一気に認知症が進んだこと、手術したことすら忘れて動かれた当時よりも、認知症は進んでいます。
術後の管理を考えると即答せず、施設長に相談しました。
通常の白内障の手術であればいいけれど、最低でも30分以上はかかるのは難しいし、全身麻酔のリスクは大きいとのことで見送りとなりました。
かかりつけ医に相談もされたようですが、難しいと判断されたようです。
施設の名称変更があり、その手続きのため年末に施設に行ってきました。
トイレにふらふらと歩いてきて、たまたま受付にいた私のすぐ近くまで来ましたが、私に気づきませんでした。
現在は面会謝絶なので、施設の方が事務室に連れていき、委任状に名前を書かせてくれました。
若い女性のヘルパーでしたが、親し気に話していたので、大丈夫そうです。

は水力発電所関連の電気工事ということで、コロナも仕事に影響はなし。

県外の書道教室やボーカル教室に通っているは、ボーカル教室はやめました。
県境越えの自粛が出ると、書道教室は通信制にしてもらっていますが、あと2年以内に師範になるとのことで、今しばらく頑張るそうです。

来年でとうとう還暦を迎えます。
あと15月で定年、役職を退くこととなります。
できる限りのことはしたし。上がれるところまでは上がったので、肩の荷を下ろしたいなという気持ちです。
65歳の年金支給までは稼がなければいけないので、まだまだ頑張らないといけないのですが・・・

来年はマスクなしですごせますように。
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