気まぐれ日記帳

思いつくまま・・・

1週間

2013年10月26日 | つぶやき
ひでよしがお星さまになって1週間がたちました。
月曜日に動物火葬場に届けて、帰りに大泣きしました。

火葬の時間の前、ひでよしがそばにきて左手をペロッと舐められたような気がしました。
そして左手にリードの感触と首輪を留めるカチッという音がしたような・・・

すべては私の幻想だと思いますが、その気配で凍った心に血が通った気がしました。
また、新しい体と魔法の鏡をもらって、誰かを幸せにしに行くんだと。

その日はそばでまとわりついているような気配を感じましたが、いつの間にか消えてなくなりました。
ただ、心の中のリードは消えずに残っています。

今は少しづつひでよしの身の回りを片づけています。
ただ、道具類はそのまま残すことにしました。

犬が好きなことに変わりはないし、最後まで楽しく過ごすことができました。
介護の苦労がなかったこともあるのかもしれません。
機会を見て、また柴犬を飼うことになりました。

私は次に犬を飼うときは、黒柴のメスで茶々という名前をつけようと前から決めていました。
は、一時、迷い犬として飼い主が見つかるまで飼っていた豆柴につけたシンタロウという名前を付けたがっていました。

しかし、我が家の政権与党であるは、仔犬になって帰ってくるのだから赤でオスの柴犬「ひでよし」だと・・・

確かに取り上げられた感があるので、取り返すっていう気持ちも分かります。
友達にも、また飼えばいいじゃないといわれたようです。

ひでよしのようにやんちゃだと大変ということで、今度はこぶりな豆柴にしたいと探り出しています。
多くの犬をますが、あれだけやんちゃな散歩ぶりをしている犬を見たことがありませんが・・・

は、ひでよしが落としていった綿毛を形見に持っています。
私は鑑札を形見に持っています。

思い出を残しつつ、少し前に踏み出せそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魔法の鏡

2013年10月20日 | つぶやき
神様は、犬に魔法の鏡を持たせています。
飼い主の優しい心を映し出す魔法の鏡です。
犬は無邪気な仕草で優しい心を映しだして、可愛がられるとともに家族を幸せにします。

長くて10数年という一生を通じて、生のすべてを家族に教えてくれます。
その一生は、多くは元気で幸せに満ちたものです。
時には苦労の多いものであったり、優しい心が映し出されないことがあるかもしれません。

すべてを教え終わった頃を見計らって、神様は犬を天国に連れていきます。
魔法の鏡がなくなって、家族は悲嘆にくれます。
魔法の鏡に向き合わなかった家族は後悔します。

そして家族は、自分の優しい心を映しだす対象を探し始めます。
今までよりも、もっと優しい人間になっているはずです。

犬は、魔法の鏡を家族の心に残してくれているのです。

------------------------------------------

愛犬を撮った動画が残っています。
やんちゃで無邪気というよりは悪いことばかりしていますが、接する家族はすべてを笑顔で受け止め、あふれるような優しさで接しています。
それでも愛犬の姿は生きている時と何かが違って見えます。

そこには魔法の鏡がないからだって気がつきました。
犬を通じて、映し出されていた家族の心は動画には記録されていません。

心に空いた穴は、魔法の鏡が映しだしていた心にアクセスできなくなり、神様の使いとの別れの寂しさが埋めてしまったからかもしれません。

大変なこともあったけど、いなくなればいいって思ったことは一度もありません。
毎日欠かさず散歩し、目があえば声をかけたり、頭をなでたり、遊んだりしてきました。
愛犬も最後の日まで元気で頑張ってくれました。
神様が別れの時間まで作ってくれて、犬と過ごした15年近い年月には何の悔いも残っていません。

最初から分かっていた別れなのに、避けて通ることができない別れなのに、心にぽっかり穴が空いています。
心の中を根こそぎ持っていかれた気持ちです。

でも大丈夫、魔法の鏡は心の中に残っています。
そして前より優しくなれているはずだから。

15年近い年月の中の辛い思い出も根こそぎ持っていかれました。
それを楽しい思い出で埋めなおして、優しさがあれば楽しいことで埋めることができるはずです。

次の15年となると定年退職を含めた私たち夫婦の第2の人生が含まれてしまいます。
犬を飼うことができない環境になっているかもしれませんので、踏み出すことはできないでしょう。

大変だけど犬を飼いたいと思うのだろうなぁ・・・

もし犬を飼う機会があったなら、柴犬を飼いたいです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柴犬

2013年10月20日 | つぶやき
神様が迎えにきたような潔い最後、ぼっーとしていると涙が出てしまいます。
寂しいだけじゃなくて、幸せな一生を送れたねというのと、ありがとうって気持ちが混じっています。

気持ちを整理したくて、少し書き記してみます。

子供が小学1年生の時に、「僕も犬を買いたいな。」と軽い気持ちで言ったのが始まりでした。
女房は、子供の頃にセントバーナードと柴犬を飼っていたことがあって、「絶対、柴犬!」と大乗り気。
私は犬を飼ったことがなく不安はありましたが、子供が一人っ子ということもあって、家に友達がいた方がいいかと飼うことに決めました。

子供はビーグル、私はコーギーと言っていたのに、女房が「柴じゃなきゃダメ!」ということで、犬探しを始めました。
たまたまだったのか、どこのペットショップも柴犬が売り切れていて、ブリーダーのところにも行き、次生まれたら連絡いただくようにお願いしてきました。
そんな中で、一匹だけいたやせっぽちで売れ残っていたのが、我が家に来た柴犬です。
ちょっと大きなっていて58,000円と格安、「難あり」だったのかもしれませんが、女房が連れて帰ると言い出して、我が家にやってきました。

ショップの店員さんが言うようにやんちゃで、最初は啼きもしましたがそれはすぐにおさまりました。
躾らしきことをしてからは、無駄吠えなし、散歩大好き、食事大好き、家族以外は基本的になつきません。
ボール遊びも、最初は喜ぶのですが、取り上げるといじけてしまって長続きしません。
「お手」、「待て」という芸事(?)は論外。
リードをぐっと引けば止まる、尻尾を持てば座るぐらいで、猟犬の本能むき出しでした。
いたちを捕まえてしまったこともありました。

家族が仲良く話をしている人に吠えることはありませんでした。
子供が連れてくる友達にも吠えたことはありません。
表情を見分けていたようですね。

家族が手荒に可愛がっても絶対に服従でした。
シャンプーが嫌いで、「やめて」とクイーンと啼きはしますが暴れはしません。

毎日2回20分程度の散歩と餌、水をかかさない。
よってきたら頭をなでる、それだけといえばそれだけなのに、大事な家族になっていきました。

夜遅く帰ってきても、小屋から出てきて、においを嗅ぎます。
そのまま家に入ると、ワンと一回なくので、声をかけて頭をなでてから家に入るようにしていました。

仕事で嫌なことがあって、玄関に座って煙草をふかしていると、そばによってきてシャキッと座ってくれました。

一杯、癒してくれました。

大きな病気をしたことはありませんでしたが、夏場に耳が腫れることがあって、耳掃除に連れていくぐらい。
ぐったりするようなことは一度もなく、手がかかることはありませんでした。

散歩の距離が長く、躾もどきもした私といる時は、しゃきっとしていました。
一番は私だろうと思っていますが、女房は私が一番と思っているようで、うまく使い分けていたようです。

近所で迷っていた豆柴を預かり、元の飼い主が見つかるまでの2週間余りは大変で、目を離したすきに豆柴を屈服させるなど、この家には俺様だけだと主張しまくっていました、
その犬は大人しくてキビキビもしておらず、性格の差は大きいなと思いました。
飼い主の方から「オドオドして大変だった散歩が、戻ってきてからは上手になってびっくりしました。」と聞きました。
飼い方や接し方も大きいのかもしれません。

犬がいることもあってか、我が家の隣に泥棒が入ったことがありました。

旅行に連れて行ったこともありましたが、お互いが大変なだけでした。
家族全員で出かけて家に帰って来ると、「帰って来た!来た!」って飛びついてきて「俺様を置いていくな!」って訴えます。
そんあことで年に1回近所の人に散歩だけお願いして、旅行に行くぐらいでした。

だんだん歳をとってきて、10歳を過ぎてからは、大人しく、人懐っこくなってきました。

今年になってめっきり痩せてきて、動きも少しだけ鈍くなってきて、歳をとったなぁと実感させられました。
別れの日は遠くないと覚悟はしていました。
それでも14歳の割にはシャキシャキで、餌を工夫してもとのように丸っこくなってきたので、まだ1~2年は大丈夫だと思っていたのに・・・

昨日の夜の散歩は元気で、餌も待ちきれなく飛び上がっていました。
実家の両親と泊りで出かけていた女房が夜遅く帰ってきた時も、いつものようにひょこひょこと出てきて、においをかいでくれたそうです。
その時に「お利口さんだね。」と声をかけて、頭をなでてあげたのが、元気だった最後の姿になりました。

今日の朝、新聞を取りにいったときは犬小屋にいました。
散歩に行こうとリードを取り換えても、いつものように駆け出しません。
門を出て10mのぐらいの間も後ろから頑張ってついてくる感じ。
これはおかしいと思って、病院に連れていくからと女房に準備させている間も、餌も口にせず庭をうろうろと歩いていていました。
何かを噛みしてめているのか、番犬ととして最後のお勤めをしているのか、そんな感じでした。
女房の準備も終わって行こうと思っていた矢先に、「クイーン」と振り絞るような変わった啼き声が庭から聞こえました。
慌てて外に出たら、ハーハーしながら庭でへたり込んでいました。
これがひでよしの最後の声となりました。

病院に着いた時は、心拍数が半分に下がっていて、手当はしてもらったものの、「家に連れていってそばにいてあげてください。」とのことでした。
私が支払いを済ませて車に戻ったら、女房が泣きそうな顔で心臓が止まったかも・・・と、瞳孔も開いていました。
もう一度お医者さんを呼び見てもらったところ、まだ、心臓は動いてるが、覚悟してくださいとのことでした。
家で段ボールの上にタオルケットを引いて布団をかけて、ストーブを焚いて部屋を暖め、さすってあげましたが、虫の息になってしまい、いつの間にか息を引き取ってしまいました。

見事としかいいようのない旅立ちでした。

先月まで夏休みで帰ってきた子供が毎日散歩していましたし、昨日まで元気いっぱい。
出かけていた女房が戻り、私も家にいる休みの日まで最後の日を伸ばしたのでしょうか。

今日も少しだけど別れの散歩をして、かみしめるように最後の時間を迎え、意識が飛ぶ最後にひと吠え。
私には「もうダメ、さようなら」と聞こえました。
最後まで頑張ったんだよね。
止まりかけの心臓も家に戻るまで持ちこたえ、家族に一杯なでながら息を引き取りました。

家族に迷惑をかけることもなく楽しい思い出だけをいっぱい残して、最後まで大好きな散歩を欠かさず、なでてもらいながらの旅立ち。

哀しいけど、最後まで私たちなりに大事に飼ってあげることができました。
やんちゃでやせっぽちで、飼い始めた頃はどうなるかと思いましたが、最後まで生き抜きいてくれました。

君とすごした歳月には、色々なことがありました。
泣いてばっかりだった小学1年生は、国立大学工学部に進みました。
私も50歳を過ぎて、それなりに管理職しています。
女房は、年齢不詳で元気なまま。
介護で色々とあった私の両親も、今は施設で何とか過ごしています。

家が落ち着くまで、家と家族の心の番犬をしてくれたんだね。

本当にありがとう。

外は雨が降っています。
いつもでしたら面倒だけど、喜ぶ顔を見たくて散歩に出かけたのに・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お星さま

2013年10月19日 | つぶやき
我が家の柴犬くんが、お星さまになりました。

朝、元気がなくて、大好きな散歩も門を出てすぐに立ち止まってしまいました。
お腹をこわしている時に一度ありましたが、その時とは様子が違って、精一杯頑張って歩いているという風に見えました。
これはおかしいと思って、すぐに戻って医者に行く準備をしていたら、急にヘタりこんでしまって・・・
医者の診断は心筋梗梗塞で、処置を終えて家に戻りましたが、ほどなく息を引き取りました。

14歳10ヵ月、遠からず別れの日は来ると覚悟していましたが、その日は急にやってきました。
は、泊りで義母と東京に行っていました。
昨日の夜、帰って来た時は、元気に出迎えてくれたそうです。

二人がそろっている休みの日まで頑張ったんでしょうか?
大好きだった散歩、旅立つ日もちょっとだけでしたが、頑張ったのでしょうか?
病院から出て車に戻った時に心臓が止まりかけていましたが、家に戻るまで頑張ったのでしょうか?
二人にさすられながら、いつの間にか息を引き取ってきましたが、それは「最後まで一杯可愛がってくれてありがとう。僕は幸せだったよ。」というメッセージだったのでしょうか?

ちょっとやんちゃではありましたが、よくなついていました。
散歩が大好きで、頭をなでてもらうのも大好きでした。
「こいつ結構賢いのか?」と思わせる人間くさい仕草をすることもありました。



にせがまれて飼い始めましたが、その時はこんなに可愛いなんて思いもしませんでした。

犬は旅立つときに辛い思い出を根こそぎもっていくと聞きました。
また、旅立ってから、素晴らしさが分かるとも聞きました。

心にぽっかり空いた穴は、柴犬くんの最後のお仕事だったのでしょう。
ここ数年は仕事で大変なことや、両親の介護のことで重苦しくなること多いのですが、そんなことは根こそぎ持って行きました。
引きかえに楽しく過ごした長い時間、そして最後までできることをすべてさせてくれたことまでも、おみやげとして置いていきました。

一杯飲みながら、今までのひでよしとた過ごしたことを思い出していました。

僕の大好きな散歩、毎日欠かさず雨の日も雪の日もしてくれたね。
今日は、少ししかできなかったけどありがとう。
最後まで頭をなで続けてくれたね。
みんなのやさしい顔が大好きで、もっと見たくて頑張ったけど、歳には勝てなかったよ。
ごめんなさい。
心に空いた穴は、僕と過ごした思い出と、今までと、そしてこれからの楽しい思い出で埋めてね。

そんな声が聞こえてきました。

可愛がられたのではなくて、可愛がらせてくれたのです。
それがやさしい気持ちをいつも引き出してくれていたことに、気づきました。

哀しくて何度も涙がでてきます。
月曜日には、市の施設に持っていき、さようならしなければなりません。
が、何度もひでよしって声をかけています。
奇跡がおきないのは分かっているけど、家で寝ている間はそばにいてあげるって言ってます。

家族の心の中でいつまでも生きているから、お星さまとして見守ってね。

本当にありがとう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする