気まぐれ日記帳

思いつくまま・・・

令和元年

2019年07月15日 | つぶやき
年号が令和に変わって、2ヶ月が過ぎました。
宮仕えには定年延長の議論はありますが、延長したとしても役職定年が織り込まれているようです。
母の介護も終わったし、子供も独立したし、住宅ローンも年収の半分以下になりましたし、後は仕事の荷を下ろすだけとなりました。

年金問題が議論されていますが、子供と同居せず、豊かに、長い老後を年金だけで暮らすというのは無理があります。
税金、社会保険を含めて月30万円の生活費をベースに自分にあてはめて考えますと、退職金に手をつけず、年金の満額支給開始となる65歳まで働いて食べていかないといけないなと思います。
まだ、7年半ありますが、その後は子どもの近くに引っ越さないといけないかなと思います。

転職前の企業年金分がどうなっているかたどってみました。
企業年金連合会が引き継いでいるとのことで、引継の書類を送付してもらうこととしました。
年金便だけだと3階建ての部分がもれるので、支給見込額に2年分の追納による国民年金満額、3階建てを足すと、と合算すると、持ち家で日々、普通に生活するだけならというところに迫ってきまして、何か物入りがあったら貯金を崩すという「普通(?)」のパターンになるようです。
電気工事関係の資格を持っていた義父も70歳を過ぎても働いていましたし、働けるうちは働くというのは今も昔も同じだと思うのです。
年金でやっていこうとすると、叔母夫婦のように大手企業の管理職として定年まで夫婦でガチで勤め上げるか、叔父のように役員までたどり着くか、親父のように不動産に投資するとか、めっちゃ頑張らないといけません。

私はどうなるのかな?

保険証が届きましたので、親父の顔を見がてら、介護施設に行ってきました。
昼前だったせいか、すでに食堂にいて、うつむいて目をつぶっていました。
部屋にいてもぼっとしていたり、眠っていることが多いのですが、ごはん前でも意識を維持することが難しくなっているのかな・・・
思考力がかなり落ちてきたとは感じていましたが、介護度が進んだとは思えなかったのですが、こういう姿を見ると、能動的な行動は望めないということを感じました。
足元も怪しくなっていますし、車椅子やおむつを必要とする要介護3になる日も、それほど遠くはないかもしれません。
父の収入=介護費用という状況なので、特養も考えないといけませんし、また、バタバタしそうです。
コメント
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