気まぐれ日記帳

思いつくまま・・・

若きいのちの日記(その3)&母のアルバム

2016年05月29日 | つぶやき
愛と死をみつめてを読み終わった。

情け容赦なく進行する病、おそらくは日記をつづり始めた2度目の入院の際には死を覚悟していた思う。
現実の話であって、脚色一つないこの書簡集と日記はあまりにも重くて、何の言葉も挟めないというのが正直な感想だ。

勝手な想像を書くことは許されないと思うけれど、病室で感情や頭の中を整理してから手紙をしたためる中で、伝えたくない事実や手紙に書かなかった思いを日記に書き留めていたことは間違いのないことだと思う。
また、書くことによって感情を整理するのではなく、整理できるまでは触れないようにしていたのではないかと思えてくる。
時間のかかる手紙のやりとりには、嫌でも考えさせられる時間は十分にあったのだろうから・・・

私は大島みち子という女性に会ってみたい。
私とは比較にならない精神力で最後まで生き抜いたのかを聞いてみたい。
かなわないことではあるけれど・・・

まとめてみようと思ったけれど、書簡、日記だけでは推し量れない不安や悲しみがあったと思うし、彼女は誰にもすべてをさらけ出すことはなかったのだと思う。
それは昭和30年代という時代もあったと思う。
私の母も病気のことを隠して結婚したし、発病の時期については墓の中まで持って行くつもりだったようだから・・・

もっとも彼女が平成の今、このような状況におかれたとしたら、違う考えや行動にでたと思う。
女房は、私はダメと分かったら、わずかの延命に時間を割くよりも、悔いのない1日をすごすとともに手記を書いて遺産代わり置いていくとドライなことを言っている。
QOLではないけれど、今の時代はその考えが優勢であろう。

色々と思いあぐねているうちに、母のアルバムを整理しようという気になった。
私が大学に入るまでは、母もアルバムに整理していたようで、高校を卒業して私が生まれるまでで3冊、私が高校を卒業するまでの間で3冊あった。
私は見たことがなかったが、モデルのバイト時代にプロに撮ってもらった写真は引き伸ばして、B4のビニールファイルに保管してあった。

そこからは女房が母に頼まれて写真フォルダーに挟んであったものが2冊。
どうでもいいようなものは現像の際に付録でもらえるフォルダーに入っているものもあれば、袋の中にそのままになっているものが、引き出しの中からどっさり出てきた。
これらは片づけの際に全部眺めはしたものの、ほとんどは処分してしまった。

残された8冊のアルバムのうち、粘着式のアルバムの写真はシミになっているものや、かなり褪色しているものが多いので、スキャナーで取り込んでフォトブックとして注文した。

もう一冊、母が私中心に整理したアルバムがあって、それは結婚した時に女房が母から引き継いでいる。
そこにも母の写真はいくつかあったはずだが、そのアルバムは行方不明である。
書斎の押入れの段ボールの奥底にあると思われるが、スキャナーの取り込みとフォトブックで膨大なエネルギを費やしたので、その捜索は後日とする。

高校卒業後、服装学院に通っていたこともあり、ファッションモデルのバイトをしていたようだ。
母から直接話を聞いたことはなかったが、叔父たちから観光ポスターや撮影会のモデルをしていたと聞いていた。
ファッションショー、撮影会、観光ポスター、大学写真部の撮影会などのスナップが残されていた。
これらのアルバムは記憶にないので、おそらく叔父の家にいた祖母が持っていて、祖母が亡くなった後で形見分けでもらってきたものかなと思う。
葬儀の際に義理の叔母が芸能人みたいな写真があると言っていたので、おそらくそうだろう。

プロが撮ったであろうプロマイドもあるし、こんなクールな写真もあった。



こんな表情は記憶になくて、ちょっとドキッとした。
この写真とプロマイドは、息子に見せるのは気がひけたのだろう。
母に頼まれて父が引き伸ばしたと思うが、父も私には言えなかったのだろうか。
お母さん、この写真はやばいよ。(汗)

話は戻るが、母は短く壮絶なものではなかったが、長くジワリとした苦しみの中で人生を体験してきた人であった。
すべてを体験できただけ、まだしも幸せだったのかもしれないし、子供は目の前のことしか分からなくて、比較のしようがないので不幸とも不運とも思わないのである。

要介護5、しかも順番待ちの特養で審査会で順位が一番になるという厳しい状況の母ではあったけれど、認知症で冷静な母ではないと分かってはいても不満や愚痴を延々と聞かされるたびに、とんでもない親不孝をしてしまったのではないかという思いがよぎっていた。
母が真剣に見ていた「愛と死をみつめて」の原作を読んで、母のアルバムを眺めているうちに、母が笑顔で私を見守っている気がした。

遅まきながら遺影のリボンをはずしてしまって、仏壇の写真立ての写真をクールな母の写真に入れ替えた。
気が変わったらプロマイドに入れ替えようと思う。

こんな子供ではあるが、父が認知症で母の記憶が飛びかけている今、若かりし頃の母が生きているのは一人息子の私の心の中だけだろうから。
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