Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

松風の門

2010年10月01日 | Weblog

本は仕事の行き帰りに電車内で読むだけだけれど、かなりの冊数になる。読み終えた後はすぐ忘れてしまうので、最近は読書履歴をつけるようになった。履歴といっても読んだ日付と作家、題名、出版社名くらいのものだけれど・・・

今は時代小説が面白くて手に入るものは片端から読んでいる。最近になって分かったことだけれど、時代小説の作家がこれほど多くいたことに驚くとともに、自分の無知を思い知った。

上田秀人、乙川優三郎、宇江佐真理、乙川優三郎、風野真知雄、佐伯泰英、澤田ふじ子、白石一郎、高橋義夫、堀 和久・・・などなど最近名前を知った作家が山ほどいる。現代に生きながら時代小説を書くからには、最低限膨大な量の歴史資料や古本を読んで知識を蓄え、その上で構想を練り、その時代の人々の生き様を想像して描いてゆくわけだろうから、出来上がった小説をただ読むだけの我々には到底思い及ばない困難な仕事であろう。

けれども個人的な好みからいえば、山本周五郎や藤沢周平の作品は別格に思えてしまう。特に山本周五郎作品はただ読んで面白いというだけでなく、心に滲みるものを感じる。

               

「松風の門」は子供のころ剣術の稽古で誤って藩主の右目を失明させてしまい、動転して痴呆のように立ちすくむ俊英の家臣に藩主はこのことを「黙っていろ!」と秘密にする。やがて長じた藩主が江戸から国元に戻った際、検地やり直しをめぐって百姓一揆騒動が持ち上がる。幼少時のことを深く恩義に感じていた俊英の家臣は己の一命をかけて騒動を治めるが、短慮だとして藩主から閉門を命ぜられる。その夜彼は切腹して果てる。側近の老職から事実を聞かされた藩主は彼の死を悼み、寺の境内の松風が瀟々となる中墓に参る。

こういう小説に胸が詰まるのは自分が歳をとったせいだろうか、それとも旧い日本人としてのDNAが色濃く残っているせいなのだろうか・・・?
飲み友達のJinさんなら同じ感覚を共有してくれている筈だけれど、若い人たちは果たして我々と同じように感動するのだろうか、ちょっと興味のあるところである。