よろしくお願いします。
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昨夏一泊二日で走った滋賀の旅、久しぶりの湖北地方の走りでしたが、その目的のひとつが万葉歌碑巡り、早速行ってみようと思います。
「あぢかまの 塩津をさして 漕ぐ舟の 名は告りてしを 逢はざらめやも」(作者不詳・巻11-2747)
写真1枚目~3枚目、国道8号線の塩津バス停の一角にある万葉歌碑、同じ歌が刻まれた歌碑は次に訪れることになる塩津神社にもありました。「塩津」はこの地そのものを差していると思われるが、なぜかこの歌の碑が香川県にもある、その場所が鎌野海岸と言うことだから冒頭のあぢ「かまの」にかけたのだろうか?香川には塩田があったから塩津には違いないが、やはり滋賀県としては譲ることはできないでしょう。
「高湍なる 能登瀬の川の 後も逢はむ 妹には我れは 今にあらずとも」(波多朝臣小足・巻12-3018)
「鳰鳥の 息長川は 絶えぬとも 君に語らむ 言尽きめやも」(馬史国人・巻20-4458)
米原市にある2つの歌碑、「能登瀬の川」「息長川」はどちらも同じ、この地を流れる天野川のこと、この走りでは見つけきれなかったこの地にあるもうひとつの歌碑にもこの川の名前が読まれています。下の歌碑があるのは琵琶湖の近くにある世継と言う集落の中の、七夕伝説がある神社で見つけたもの。この集落はいろいろと見所が多かったが、遅い時間に寄ったので巡りが中途半端なままで終わってしまった、再訪の宿題を残しているのでまた行くことになると思います。
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初日の旅ももうすぐ終わり、この日最後の歌碑を探して琵琶湖の湖岸道路を彦根方面へ、夕陽に映える琵琶湖に気を取られながらも進んでいると、米原市と彦根市の境界の所に神社があり、その向かいの湖岸に大きな歌碑がありました↓↓↓
「磯の崎 漕ぎ廻み行けば 近江の海 八十の港に 鶴さはに鳴く」(高市連黒人・巻3-273)
歌の意味はもう見たまんまと言ったところ、旅人が見たままの情景を歌ったものですが、まあ自分(一人称)が走りに行った所を隈なく写真に収めるとの同じ・・・と言ってしまっていいですかね。何気ない情景を歌っていても、旅には付き物の不安を隠そうとしている雰囲気がうかがえます、昔は電車もバスもないし、暗くなったらどこに泊まるかも探さなければならないですからね。自分(一人称)がこの歌碑を見つけたのももう空が暗くなりかけの頃、旅人が琵琶湖で鶴の声を聞いたのももう暗くなりかけの頃だったかも知れません。
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彦根駅前でひとつ歌碑を巡りその後は中山道にある歌碑を探して走りました。その歌碑がなかなか見当たらない、参考の地図によると確かこの辺りなんやけどなあ~、と思いながらあちらこちらを走り回っていると↓↓↓
「近江道の 鳥籠の山なる 不知哉川 日のころごろは 恋ひつつもあらむ」(崗本天皇・巻4-487)
「犬上の 鳥籠の山にある 不知哉川 いさとを聞こせ 我が名告らすな」(作者不詳・巻11-2710)
写真2枚目~5枚目にある歌碑がそうなのですが、これはあわや見落としてしまうところだったわ~。「鳥籠の山」はこの歌碑がある山のこと、その横を流れているのが「不知哉川」と言うことで、2つの歌が並んでいるわけですね、まあ無事に見つけることができて良かった。
「白真弓 斐太の細江の 菅鳥の 妹に恋ふれか 寐を寝かねつる」(作者不詳・巻12-3092)
彦根市肥田の川沿いにある万葉歌碑、「斐太」とは「ひだ」のことでこの地のことでしょうか、と言うのも候補地がいくつかあってはっきりしていないみたいです。白真弓とはひだに架かる枕詞、「真弓」とは元阪神(T)の一番バッター・・・ではなくて、弓の材料になる木とのことですが、これについては前に取り上げたことがあったような気もします、はっきり覚えてないけど。その白真弓が読まれた歌がもうひとつ↓↓↓
「白真弓 石辺の山の 常盤なる 命なれやも 恋ひつつ居らむ」(柿本人麻呂歌集・巻11-2444)
日は変わって9月の滋賀の旅で立ち寄ったJR石部駅前の公園にある万葉歌碑。「石辺の山の常盤なる命」とは石部の山の岩のような永遠の命と言う意味、最後の節に切ない感情がうかがえる歌となってます。と、ここまで滋賀県内を走って万葉歌碑を巡ってきたわけですが、今回この歌が本当にこの地を歌ったものかというのがはっきりしないものがいくつかありました。もう1000年以上前のものなのではっきりと確証できないから、うちがもらっとこう・・・なんて言うのはあまりにも失礼すぎますか。だから引っ付き虫の攻撃を喰らったのかも、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち
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昨夏一泊二日で走った滋賀の旅、久しぶりの湖北地方の走りでしたが、その目的のひとつが万葉歌碑巡り、早速行ってみようと思います。
「あぢかまの 塩津をさして 漕ぐ舟の 名は告りてしを 逢はざらめやも」(作者不詳・巻11-2747)
写真1枚目~3枚目、国道8号線の塩津バス停の一角にある万葉歌碑、同じ歌が刻まれた歌碑は次に訪れることになる塩津神社にもありました。「塩津」はこの地そのものを差していると思われるが、なぜかこの歌の碑が香川県にもある、その場所が鎌野海岸と言うことだから冒頭のあぢ「かまの」にかけたのだろうか?香川には塩田があったから塩津には違いないが、やはり滋賀県としては譲ることはできないでしょう。
「高湍なる 能登瀬の川の 後も逢はむ 妹には我れは 今にあらずとも」(波多朝臣小足・巻12-3018)
「鳰鳥の 息長川は 絶えぬとも 君に語らむ 言尽きめやも」(馬史国人・巻20-4458)
米原市にある2つの歌碑、「能登瀬の川」「息長川」はどちらも同じ、この地を流れる天野川のこと、この走りでは見つけきれなかったこの地にあるもうひとつの歌碑にもこの川の名前が読まれています。下の歌碑があるのは琵琶湖の近くにある世継と言う集落の中の、七夕伝説がある神社で見つけたもの。この集落はいろいろと見所が多かったが、遅い時間に寄ったので巡りが中途半端なままで終わってしまった、再訪の宿題を残しているのでまた行くことになると思います。
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初日の旅ももうすぐ終わり、この日最後の歌碑を探して琵琶湖の湖岸道路を彦根方面へ、夕陽に映える琵琶湖に気を取られながらも進んでいると、米原市と彦根市の境界の所に神社があり、その向かいの湖岸に大きな歌碑がありました↓↓↓
「磯の崎 漕ぎ廻み行けば 近江の海 八十の港に 鶴さはに鳴く」(高市連黒人・巻3-273)
歌の意味はもう見たまんまと言ったところ、旅人が見たままの情景を歌ったものですが、まあ自分(一人称)が走りに行った所を隈なく写真に収めるとの同じ・・・と言ってしまっていいですかね。何気ない情景を歌っていても、旅には付き物の不安を隠そうとしている雰囲気がうかがえます、昔は電車もバスもないし、暗くなったらどこに泊まるかも探さなければならないですからね。自分(一人称)がこの歌碑を見つけたのももう空が暗くなりかけの頃、旅人が琵琶湖で鶴の声を聞いたのももう暗くなりかけの頃だったかも知れません。
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彦根駅前でひとつ歌碑を巡りその後は中山道にある歌碑を探して走りました。その歌碑がなかなか見当たらない、参考の地図によると確かこの辺りなんやけどなあ~、と思いながらあちらこちらを走り回っていると↓↓↓
「近江道の 鳥籠の山なる 不知哉川 日のころごろは 恋ひつつもあらむ」(崗本天皇・巻4-487)
「犬上の 鳥籠の山にある 不知哉川 いさとを聞こせ 我が名告らすな」(作者不詳・巻11-2710)
写真2枚目~5枚目にある歌碑がそうなのですが、これはあわや見落としてしまうところだったわ~。「鳥籠の山」はこの歌碑がある山のこと、その横を流れているのが「不知哉川」と言うことで、2つの歌が並んでいるわけですね、まあ無事に見つけることができて良かった。
「白真弓 斐太の細江の 菅鳥の 妹に恋ふれか 寐を寝かねつる」(作者不詳・巻12-3092)
彦根市肥田の川沿いにある万葉歌碑、「斐太」とは「ひだ」のことでこの地のことでしょうか、と言うのも候補地がいくつかあってはっきりしていないみたいです。白真弓とはひだに架かる枕詞、「真弓」とは元阪神(T)の一番バッター・・・ではなくて、弓の材料になる木とのことですが、これについては前に取り上げたことがあったような気もします、はっきり覚えてないけど。その白真弓が読まれた歌がもうひとつ↓↓↓
「白真弓 石辺の山の 常盤なる 命なれやも 恋ひつつ居らむ」(柿本人麻呂歌集・巻11-2444)
日は変わって9月の滋賀の旅で立ち寄ったJR石部駅前の公園にある万葉歌碑。「石辺の山の常盤なる命」とは石部の山の岩のような永遠の命と言う意味、最後の節に切ない感情がうかがえる歌となってます。と、ここまで滋賀県内を走って万葉歌碑を巡ってきたわけですが、今回この歌が本当にこの地を歌ったものかというのがはっきりしないものがいくつかありました。もう1000年以上前のものなのではっきりと確証できないから、うちがもらっとこう・・・なんて言うのはあまりにも失礼すぎますか。だから引っ付き虫の攻撃を喰らったのかも、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち
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