まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.1705 万葉歌碑巡り、吉野編

2022-01-20 07:48:17 | 万葉
よろしくお願いします。





















今回は久しぶりに万葉歌碑巡り、吉野方面にある歌碑を探し求めていくこととしましょう。奈良県内には多くの万葉歌碑があって、巡ることができる箇所はほとんど行ったのですが、吉野方面はまだまだ未踏の地でした、昨年のGWに吉野川分水巡りを兼ねて行ってきた記録をお送りしていきます。
まずは香芝市の国道165号線が山麓線、中和幹線と分かれる所にある歌碑↓↓↓

「大坂を 我が越え来れば 二上に 黄葉流る しぐれ降りつつ」(作者不詳・巻10-2185)

この歌については前に取り上げたことがありました。この辺りから見る二上山は大和平野から見るのとは全然違う形だが、大阪からやって来た人にとっては初めて見る山と言うことで、旅人にとっては思い入れのある山となっていたのでしょう。
場所は変わって御所市、JR、近鉄吉野口駅の裏手になる国道309号線沿いにあるのが阿吽寺、狭い石段を上って行くと山門がありそこをくぐって境内へ入る。国道からはただの崖にしか見えない所にまさかこんな寺院があるなんて、と言った感じ、その一角に万葉歌碑がありました↓↓↓

「巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を」(坂門人足・巻1-54)

「巨勢」とは御所の語源ともなっているが、元はこの地を治めていた豪族の氏であると言うのは、かなり以前に御所市の古墳巡りをした時の記録でお伝えしたことがありました。ひとつの歌の中に言葉が重なる部分や反復する部分があって、リズム感のある歌と言うのも作者の意図したところでしょうか。

















「藤波の 散らまく惜しみ ほととぎす 今城の岡を 鳴きて越ゆなり」(作者不詳・巻10-1944)

吉野口駅から吉野に向かう国道309号線、峠に差し掛かる前に通り過ぎる今木と言う集落の一角、急な石段をたどり着いたのが蔵王権現堂。山門では小さな仁王様がお出迎え、その両側の手前に二つの歌碑が並んでいます、ひとつは万葉集ではないみたいだが、もうひとつが上にある歌が記された万葉歌碑でした。歌の意味はまあ見たまんまと言う感じで分かりますね、「藤波」と言うのはプロレスラーではなくて、藤の花が波のように散っていく様を表している、「今城」もこの地のことだと言うので分かりやすいですね。ここには吉野川分水の分水工があり、今後分水巡りでまた取り上げることとなります、さて、巡りの方はこれより峠越え、急な上り坂が待ち迎えています。













峠を下って吉野川を渡ると下市町へと入る、天川へと向かう道を途中で右側へと折れて、坂道を上った所で下市中央公園へとたどり着く。グラウンドの外周に沿っていろいろな歌碑や句碑が並んでいるが、一部の碑の横にはグラウンドを使っている人たちが荷物やペットボトルを置いていてあまり見栄えが良くない光景も。そんな中に万葉歌碑が3つありました↓↓↓

「春柳 葛城山に 立つ雲の 立ちても居ても 妹をしぞ思ふ」(作者不詳・巻11-2453)

「よき人の よしとよく見て よしと言ひし 吉野よく見よ よき人よく見」(天武天皇・巻1-27)

「苦しくも 暮れゆく日かも 吉野川 清き川原を 見れど飽かなくに」(元仁・巻9-1721)

葛城、吉野とこの地に因んだ地名が出てくる歌が並んでいます。2番目にある歌はまるで早口言葉のように韻を踏んだ作りになっています、『おはよう朝日です』月曜コメンテーターの福本大清に言わせてみてはどうでしょう。この後は吉野川に戻って下渕頭首工を巡って、最後の万葉歌碑の場所へと向かう、その場所は頭首工からあまり離れていなく川の近くにある鈴ケ森行者堂のそばに立つ歌碑↓↓↓

「今しくは 見めやと思ひし み吉野の 大川淀を 今日見つるかも」(作者不詳・巻7-1103)

行者堂は元は峠にあったものがここに移設されたとのこと、大峯山に向かう山伏がそこに集って修行していたとか。この歌碑があるのが大淀町とのことで、この歌にある大川淀からこの町名になったかのようです。吉野地方にはまだまだ万葉歌碑があるとのことですが、さすがに奥地や高い所にあるとなると巡るのも大変、と言うことで吉野編はここまでとしておきます、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち



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